第08話    「杉山のただはん」   平成18年06月11日  

 加茂水族館の館長村上龍男氏に庄内釣の師匠がいたとは、前々から何度も聞かされていた。そして30年も昔、取引先の人で印刷業を営んでいるという事だけで名前までは出てこなかった。今回「思い出語り・庄内の磯釣り」を読んで始めて、その名前を知る事になる。昭和40年代後半、鶴岡でも数少ない正統な庄内釣りの継承者と知られた相当に腕の立つ釣師の一人であったらしい。その釣師の愛称は「杉山のだだはん(尊称を込めたおとうさんの意)」であった。

 庄内釣りの伝統とその心意気は武士によって伝承され、その後明治に入っても一般の町民にも受け継がれ伝承されて来た。釣の始めが武士の釣だけに、釣のマナーに関しては、それ相当に厳しいものがある。例えば先に釣り場に入っている者があらば、その近くには絶対に入ってはいけないと云う暗黙の了解がある。その釣り人が知人であって、釣れるから一緒にと誘われたとしても、一端の釣師ならば入る事を遠慮したと云う。先に釣り場に入って、撒餌を打ち魚を集めたのはその人の釣場であって、そのポイントはその釣師の選定と技量によって造られた物であるからである。それ故その釣り場で運良く魚を釣り上げたとしても、それは自分の魚ではなく、その釣師のにお余りを釣らして貰ったに過ぎない。だから自分が選定した釣り場でポイントを作り自分が釣らなければ、決して釣ったと云う事にはならないと云う不文律がある。

 ある時良く釣れる釣り場に出かけたところが、生憎知り合いの釣師が続けて黄鯛を上げた。「こっちゃあ来い!(こっちに来て釣れや〜)」と呼ばれた杉山のだだはんは、手を振ってやんわりと断った。「ええが! 村上はん行がねもんだぞ! 釣っても自慢にはならね(いいか!村上さん、絶対に行かねぇもんだぞ!人の釣っている場所で釣ったとしても、それは決して自慢にはならねェ)」と聞かされたものだと館長はその時の模様を本に記述している。そんな庄内の伝統釣法を身につけた杉山のだだはんに、みっちりとその伝統とその技と共に武士の釣のプライドを徹底的に仕込まれている。

 自分がここぞと思ったポイントに糸を垂らし、狙った魚を一枚、一匹釣った魚は大変に貴重である。自分が釣ったと他人に釣らして貰ったでは、同じ魚でも重みが異なる。杉山のだだはんの気概は同じ釣師として、大いなる意地と誇りが感じられる。他人が作った釣り場で釣ったとしても、それは決して自慢になるものではない。同じ釣り人として釣り人はそんな気概を持って貰いたいものだ。たまたまその場所が釣れていると見るや、釣りに自信のない人ほど他人の釣り場に断りもなく割り込んで見たり、頭ごなしに竿を出す者がいる。そんな時の杉山のだだはんは、徹底的にその相手を怒鳴り追い散らした。

 いまや、全世界の海が我が物と考え何処で釣ろうが、自分の自由と思い込んでいる輩の多いことに驚かされる。こちらがちょっとでも注意をしようものなら、その倍以上の剣幕で喧嘩を売って来る。恐ろしい世の中になったものだ。しかし、同じ釣り人の中にも、そんな人たちだけではないと云う事実もある。狭い釣り場の中で、一応の挨拶の後に「何とか隣に座らせて頂けないでしょうか?」との丁寧な断りの言葉を発する者もいる。そんな時の自分はなにやらホッとした気分になり、快く了承する。確かに、釣り人が増えた現在、釣り場がその分狭くなって来たと云う事実がある。だから、狭い釣り場に数人和気藹々と釣を楽しまなければならないと云った事が、極当たり前のようになって来ている事もこれまた事実である。だからと云って独りよがりの釣は、決して許されるものではない。