第13話    「母なる河最上川」   平成18年07月16日  

 源流から河口まで県の内陸を南北から縦断し、新庄から更に西進する最上川は、県内の殆どの川から水を集めていることから山形県民にとって正に「母なる河」と云うイメージがありとても親しまれている。 昨年地元紙山形新聞の談話室に「最上川は宝物、みんなで守っていかなければならない」と出ている。今年も同じ企画で小学生を集めて行なわれた。

 県を代表するメデアである山形新聞と関連会社山形放送の八大事業の一つ「最上川200キロを歩く」が行なわれている。県南の米沢付近から河口に至る200キロを、やがて未来を担うであろう各地域の子供たちをリレー方式で実際に歩かせ、現状の河川がどのようになっているかと云う重要性を知って貰うと云う事が目的の一つである。河川保護、ひいては自然保護の大切さを将来を担うであろう子供たちに肌で知って考えてもらいたいと云う試みである。このようなイベントは当然大人の考え方で行われているから、形通りの川水の水質検査に始まり、河川敷のゴミ拾いなどが行われた。

 川水を汚したり、河川にゴミを不法投棄しているのは、今回企画をした人達を含めた大人たちが大半である。子供たちの素直な感想は「大人達がゴミを捨てている。もっとしっかりして欲しい」、「河を汚すことは最上川や海を汚すこと」と云う大人達の耳の痛いものであった。子供たちは決して難しいことを云っているのではない。極々当たり前のことを云っているに過ぎない。その当たり前のことが多くの大人達は出来ないでいる。昔の人たちもゴミを河へ捨てていたであろうが、それらはすべて自然の浄化作用で分解出来るものが多かった。しかるに現在のゴミは自然の力では到底分解出来ぬ物が極めて多くなっている。人口が6000万人の時代と13000万人の人口の違いでは、ゴミの量は格段に多くなっている事も問題だ。文化が進化し、物の消費が格段に違うことを考えれば2倍ではなく56倍のゴミの量となっている事は間違いない。昔から捨てていたからと化学物質で作られているものまで捨ててしまえば、それは自然を変えてしまうゴミとして永久に分解されずに残ってしまう。きれい事を云う大人たちに対して、子供たちは本当に素直な感想を云っていると思う。

 将来を担うであろう子供たちにしても、いくら「川をきれいに!」と云った所で周りの大人たちが日常不法投棄を続けている姿を見ていれば、それが当たり前と云う事になってしまう。マスメデアと云う巨大な力を持っている二つの会社は、その存在意義として子供たちだけでは無しに大人たちを不法投棄が悪い事だと云うことの周知徹底、若しくは洗脳を行うべきであると考える。自分達が日常行なっている不法投棄が、いつか自分にもそのしっぺ返しが来ると云う事をもっともっと伝達すべきであると考える。官公庁の形にとらわれただけの有識者を集めた討論だけでは出来はしない。民間の影響力を持つメデアがもっともっと声を大にして、啓蒙活動を活発に行なっても良いのではないかと思う。

 官庁に出来ないことを民間がやる。それがマスメデアと云う影響力を持つこの二つの会社が主導力を発揮し県民に大々的にアピールを行えば尤もやりやすいのではないかとも思う。「川を汚すことは、海を汚すこと」に繋がっている。その汚れた海の魚を人間が食べている事に繋がっている。そんな循環を県民に分かりやすく報道や放送などで声を大にしてアピールしてもらいたい。自分を守るため、将来を担う子供たちにバトンタッチ出来る様に住みよい環境を作りたいものである。自分の周りからゴミを出さぬよう、ゴミ始末は指定された場所で始末する事から始めたいものだ。