第15話    庄内kの釣文化」   平成18年07月30日  

 庄内は武士の釣から始まったと云う独特の庄内釣りの伝統がある。そこで武士ならではの釣りはもちろん釣りの道徳が存在した。が、昨今の若者を中心とする釣り事情はそんな釣り文化を一変させ今や消えつつある事に一抹の寂しさを感じている者の一人である。

 かつて庄内の海で庄内の人達だけが釣をしているうちは、釣のマナーを守らぬ輩がいた場合、庄内弁丸出しで注意をする姿が見られた。当時釣をする大抵の者が、釣りのクラブや顔見知りであったから、注意したりするのも割りにスムースに出来た感がある。それが現在では、どこの釣り場に行っても顔の知らぬ者が大半を占めている。その上人の邪魔を省みず、遠慮会釈もなく割り込んで来る釣った者勝ちの風潮が、蔓延している。一言注意などすれば、切れて逆に喧嘩を吹っかけて来る者さえ少なくない。

 庄内釣りとは、釣り方は勿論、釣の道徳も一体となった物である。いくら釣りの腕が他の人より抜きん出て上手あっても、そんな人は残念ながら釣師とは呼ばれる事はなかった。ただの釣の上手い人と呼ばれるだけである。庄内釣はさすが武士の釣だけあって、品格とか人格が滲み出て来る釣である。だから、自称名人は沢山いても、真の名人や名釣師等と云う者はそんなに多くはいない。

 長らく釣をしていると、釣り人の後姿を見ているだけで自然とその釣師の品格が現れて来るのが分かる。大抵の釣り人は釣をしている時、熱中するが余り無防備となる。だから、自然と品格とか人格が出てくるのであろう。だから、その人のその物までが、分かって来るからこれまた不思議である。釣は修行の場、人間形成の場と考えた武士達の釣は、大したものだ。

 昭和9年頃に「釣りの公徳」となるものが、鶴岡釣り連盟から出されている。釣りの大衆化が、釣り人を大いに増やした結果マナーを守らぬ者が増えて来たからである。人口が6500万の時代である。そして今、12千万の時代となった。釣り人口は当時の数倍となっている。休みが当時と比べ物にならない位に増加し、車が普及し、道路が整備され、更に高価であった釣具が格安で買える時代となったからである。

 戦後民主教育における道徳観の質が低下し、「道徳とは何ぞや!」と云う言葉を改めて教える事は少ない。親たちも、しかりである。戦後アメリカによって与えられた民主主義により、間違った教育がなされた結果である。何も孔子の道徳観を云っているのではない。だからと云って中世封建時代の道徳観のすべてが古い訳でもない。人としてこの世で生活する為の当たり前の道徳を、身に付けておかねばならぬ。釣りを通して庄内の武士達は、そんな道徳の一端を親から子、子から孫と云う形で継承して来た。こんな釣が、他にあっただろうか?