第17話    釣り道徳の乱れ」   平成18年08月14日  

 江戸時代の庄内の釣りは、藩侯の奨励で釣が始まり、その釣りの大半が武士である。その釣りは「釣道」と云われ武道の一端となっており、その為道徳に反したと云う事は少なかったと云える。

 明治に入ってからもしばらくの間は釣をする大半の人達の中心は士族であったから、その伝統は守られて来たが、時代が下がるにつれ一般庶民にも釣のブームが巻き起こり、釣り人が多くなった。それに比例するかのように釣が、道徳に反する事実が度々起こるようになってきたようだ。それが大正、昭和になると釣の大衆化が本格的に始まり、土屋鴎涯の戯画にも出て来るが、釣れている釣場への割り込みや酷いのになると釣り人の頭の上から竿を出して平気な釣り人が出て来る。どうも釣の大衆化は、道徳違反と一致しているようだ。

 昭和五十年代に一大釣りブームがあったが、その時は1000万人の釣と云われていたと記憶している。それが二十数年たった今日では2000万人と云うではないか?これでは道徳の無い人が多いのも頷ける。釣が大衆化してマナーの低下が叫ばれ始めた頃、鶴岡の庄内釣道連盟が釣の道徳の低下を憂いて「釣の公徳」なるものを発行している。

原本は無いが、その内容は
一、釣師は釣った魚、釣場の名前、釣り糸を聞きたがるものであるから、誠実に語るようにしよう。
一、一匹の魚を二人が釣ってしまった時は、色々と議論となるから大魚なれば半分に切りじゃんけんやくじ引きなどその他良い方法で協調すること。
一、陸(おか)でシノコダイ等を釣っていると、竿の先に船をかけて釣る等は、漁師ならば別として、釣師は遠慮すること。
一、釣りは魚が盛んに釣れ始めると喧嘩口論は勿論の事、お互い不快の感を起こさぬようお互い朗らかに釣る様にしよう。
一、釣場では撒餌をしても捨て竿などをして釣場を独占せぬこと。
その他万一海に落ちたる人が居た時は、強いボーセキ糸を常時携帯し、タモ杖につけて投げ込み助けようという物もある。また、二人以上の集まった釣場ではいたずらに細いハリスを使用し魚を逃がしてはならない事と説いている物まである。

 この時代ゴミを片付けようと云う言葉はなかったようだ。実際は多少あったにしても、それらはすべて自然に分解してしまうものばかりの物であったからかも知れぬが、それほどの問題に提起にはなっていないようだ。それにも増して日本国内の人口が6000万人の時代で戦時色の濃い時代であり、今日とは比べられぬほど釣り人の絶対人数が少なかったせいもある。

 昭和50年代に入ると1000万人の釣人口と云われる釣りブームが起こった。それが現在では2000万人を超すとも云われている。全般的に釣り人のマナーの低下もさることながら、特に釣り場のゴミの問題がクローズアップされている。時代が経るに従ってゴミも化学繊維で作られたものが多くなり、自然に投げられは、その殆どが分解しないもので占められて行く。その為多くの釣場が、ゴミ箱と化しているのが実情である。釣の大衆化が進むに連れて釣り人のマナーが、年々低下しているのが分かる。特にゴミの問題で考えて見ると仮に2000万人の釣り人が一度に100gのゴミを釣場に捨てて行ったとしたら、全国合計ではなんと2000tと云う膨大な量となる。ひとりが年10回釣行したとすれば単純計算で20万tとなる計算だ。

 また、最近では釣れるからと云って、漁師の領域を平気で荒らす者も少なからず出て来た。なんでもありの状態では、漁師が荒らされるのを嫌って釣場が釣の禁止区域に指定された場所もあるのであるから、遊漁者のその場限りの釣では困るのである。多くの釣り人達は、県指導にて釣の関係者と水産関係者が集まりで話し合いが持たれている事等全く知らないでいる。更に遊漁者(釣り人)は水産関係の法律、法令、条令等で現実にどのようになっているのか等は、全くと云っていい程に知らないから困る。法律が片や漁で生活している者、片や遊びで釣をしている者のどっちに重点が置かれているのかと考えて見れば自然に分かる事である。法律、法令、条令から行けば「大半の釣り人は、釣らせて貰って居る」と云う事実を知らないでいるから、釣の道徳を守らない者が出て来るのも当然である。だから、魚を獲ることを職とするもの=漁師は、当たり前の事が分かっていない現実を認識させる努力も必要ではないだろうか。獲って売ることのみを優先せずに、その前にもっともっと広告などのあらゆる告知手段を使って、何も知らない大衆に分からせる事も大事なのではないかと思っている。それが、両者が並存して行ける道でもあるのだから。当たり前が当たり前でない時代になって来ているのだから!