第18話    漁師まがいの釣」   平成18年08月21日  

 日本人の釣文化は世界でも確固たる物があると信ずる者である。欧米人の釣と異なり非常に繊細な釣が多い事は、他に類を見ないと云って良いのではないかと思う。ただ大きさだけを狙う釣りがあるかと思えば、欧米人が考えても見なかった小さな川タナゴを専門に狙うような繊細な釣りもある。それでも繊細で究極の釣はもっと小さな水盤に入れたメダカを釣る釣りだそうである。

 
肉を主食とした狩猟民族であつた欧米人に比べて温和な農耕民族の日本人の釣は大きさだけを狙う釣ではなかった。同じ釣にも何かしら粋とか情緒がある釣りが求められていたような節がある。その事は庶民が生活が安定し来て戦争などまったく考える事も出来なくなって来た江戸時代中期以後の退廃的な時代背景を色濃く映し出している時に釣り文化なるものが出て来ている。その時代は文化も武士の時代から町人の時代へと移行する過渡期に当たっている。とは云っても政治の権力そのものは武士にあったから、富裕層を含む町人に対する色々な締め付けが少なくなかった訳ではない。

 そんな中、洒落た一部の武士と富裕層の町人たちが釣を楽しんでいた。時代が下がる従って、そんな釣りが少しずつ庶民にも浸透して来た。釣具なるものは始め魚を獲る為の漁師の道具として発達しては来たものの、目に見えないところでお金を使いたいと云う一部の富裕町人たちの要求で何時しか漆を塗ったり、金蒔絵を施したりする非常に高価な道具が作られるようになった。それは、お金は持っていても政治の権力者にはなれない富裕な町民層のはけ口のひとつの遊びであったからに他ならない。権力はなくともお金さえ支払えばどんな豪奢な道具でも作らせることが出来たから、それが一つのはけ口になった。その事が一層の釣具工芸の発達を促したものと解釈出来る。釣ると云う行為からは逸脱したものではあったにしても、大勢の中のひとつでしかなかった。江戸に釣堀なるものが出来たのもこの時代であったし、今に残る江戸和竿の原型や錘そして浮木等が考案されたのもすべて江戸の中期から末期にかけての先人の釣具職人や釣師たちの創意工夫によるものである。

 そもそも釣は趣味であって漁を生業とする漁師とは、一線を画すものである。釣とは飽くまでも生活をする為の釣ではなく、魚を殺生して己が楽しむと云う事である。趣味としての釣りは、己が狙った魚が釣れれば、無上の喜びを感じそれを満足とすると云うものでなければならない。それ故に日本人の釣り人は次々と難しい釣りに挑戦して来た。魚の釣れない寒中の野に出て川タナゴなるアタリの小さい魚を釣ると云う釣に挑戦するのも、趣味であるから出来る事なのである。さらに粋人の究極の釣とは水盤に浮かべたメダカであった。関東では「フナに始まり、フナに終わる」と云う名言があるが、フナの仲間のヘラを釣る釣りもこれ又繊細なアタリを取って釣る釣で、欧米にはないもののひとつである。人間が食べる魚ではないものを釣って喜んでいるのは日本人だけではないだろうか。

 
ところが最近日本人も肉食に馴れて来たせいか、非常に戦闘的になり漁師まがいの釣をする者が増えているような気がする。最近より大きな物をより多く釣りたいと云う釣が流行している。魚を取る事を生活の糧とするとする漁師ではないのであるから、昔から伝わってきた様に自分が狙った魚を釣ったら、それで満足する釣を本願すべきである。漁師まがいの数や型のみを追及するものではなかった筈ある。趣味としての釣りは飽くまでも大小にこだわらず健康的な釣である。そして自分が狙った魚が釣れた時が、釣り人にとって至福の時間となるような釣をしたい物である。