第19話    他の地域の竿と庄内竿」   平成18年08月28日  

 全国で庄内の苦竹(ニガタケ)に似ている竹は篠竹、釣瓶竹等が非常に似ていると云われている。しかしながら、苦竹の様に二年古迄100%穂先として使用出来るウラ(穂先)が付いているメダケの竹は他にない。そして三年古には5060%、稀に四、五年古にも繊細なウラが付いている竹がある。

 他の地方で作られている継竿は普通一本の竹ではなく他の竹、もしくは別種類の竹を合わせて作られているが、ここ庄内では一本の延べ竿になるべき竹を二つ、三つ若しくは四つに切り継竿として作られている。だから庄内中の竹薮の数千本、数万本の中から、選びに選んだ数本から十数本の竹を掘って来る。そして竹本来の素質を生かし、根から穂先まで皮の付いたままの竹を竿師が4〜5年掛けて鍛えて竿を作るのが普通である。

 一方他の地方では数本の竹 (釣る魚により同じ種類の竹もしくは種類の異なる竹)を吟味して選び、竹の皮を取り除きそしてその上に糸を巻いて漆を掛け補強するから、竹を合わせて竿の調子を人為的に作る竿と云える。それに対して庄内竿は一本の竹本来の素質、そのままに生かして鍛えて作られている。それ故に釣る魚の対象は竿の長短や硬軟等を人為的に操作して竿を作る竿とは異なり、竹本来の素質や調子で釣る対象を決めている。

 庄内の竿では何故このような竿が作られたかと云えば、武士が作った竿だからと云うしかない。町民と異なり生活にはあまり困らぬ武士であったから、売ることなどは始めから念頭におかず、基本的に自分に合うように手間暇を惜しげもなく使って良い竿を作ることに精を出したからに相違ない。この点が他の地方の竿作りと大きく異なるところであろう。趣味の為の自家用の竿作りであったから、良い竿を作るために材料の吟味はもちろんの事、4〜5年と云う長い時間を掛けて竿を鍛え上げ、更に自分が納得出来るまで竿をかっちりと締まるまで時間をかけた。

 殿様の湯治のついでの浜遊びの小物釣りに始まって、最終的に大型の黒鯛、赤鯛(真鯛)を釣るための竿作りなどそれも5年と云う年月を掛けた竿は、江戸や大阪のような大都市でならともかく一地方の小さな城下町では商売として成り立つ筈もなかった。はじめ武士たちの自家用竿として作られ完成したからこそ、はじめて出来上がった竿なのである。その為に根からウラ(穂先)まで基本的に加工など一切しない(ニガタケの3〜5年古のウラのない竹のみ漆で継ぐ)と云う独特の延べ竿が完成した。また、竿を矯める時に和蝋燭を使うと云うのも庄内独特である。和蝋燭を使う事によって硬い竿に傷を付けず、しかも柔軟に矯めることを可能とした。少しでも長く使う為に根っこから掘り出して作り、後にその根の形の善し悪しも名竿、美竿の鑑賞の一部となっている事も他に類を見ないひとつである。

 また特に小竿の場合であるが、根の部分が手のひらの奥にしっとりと馴染むかどうかも「手の内」と云い重要な要素となっている。庄内竿を使って見ると分かるのだが、微妙な魚信が手の平を通して感ずる事が、ファンを作り長い間使われてきた要素のひとつとなっている。それを「手の内にしっとりと馴染む」と云う、庄内竿の愛好家の方々が大勢いる。

 惜しむらくはこの庄内竿は胴調子、元調子の為に持ち重りがする。事に長竿などでは余程の釣りに馴れた者でないと長時間持つことが出来ない事が唯一の欠点となっている。そんな欠点もあるが、使い慣れた者は庄内竿で無ければ・・・・と云う人達に愛された竿でもある。