第20話    釣=勝負」   平成18年09月04日  

 かつて釣をする事を、藩政時代の庄内藩の武士たちは勝負と呼んでいた。その為鶴岡の城下町では、中高年の方々を中心に極く最近まで釣に行く=「勝負に行って来る!」と家族や友達に告げていたと云われている。ここ庄内の釣文化には、他の地域には見られない独特の世界観がある。それは単なる趣味の域を超えた武道=釣道として鶴岡の市民に釣が認識されていた土地柄であったからである。一歩城下を離れ、山越えして磯釣りに出かけると云う事は、単なる趣味の域を超えて武士があたかも戦場へ出かけると云う重みがあった。槁木の「垂釣筌」によれば、魚を釣る=敵を屠る(ほふる)と記述しているし、また、秋保親友の「野合日記」では殺生とある。共に磯釣を合戦に見立て魚=敵を屠る、殺生する等と書いているのである。

 腰に大小の刀を束ね肩に手籠(てんご、てご)と数本の長竿を担いだ四角四面の武士達の釣が面白かったのかどうかは、現在の釣り人では考え様も無いかも知れない。たかが魚釣りを戦場に喩えたは、釣を武芸に見立て遊びとしての釣を正当化する手段であったのではなかろうかと思えるのであるが、それは自分一人だけであろうか。良く良く考えればそんな遊びの延長の釣を江戸中期から後期の太平の世に慣れ親しみ、ともすれば軟弱になり勝ちな武士達に少しでも体力を付けさせる為のひとつの方策、手段であったからであったのでろう。元来武士の仕事とは、ひとつに合戦時の武力の行使であった。質実剛健を旨とし武力ならびに知力を持って藩主に仕える事が、本来の仕事である。ところが現実は天下泰平の世にあって算盤算術の出来る者が、重きを置かれ何処の藩でも重要な位置を占める事となっていた。太平の世にあって武士達は消費するのみで、何物も生産をもたらす事は無かった。いつの間にか武を持って仕えるはずの武士達は算盤算術まで行わねばならぬ程に、藩の経済は困窮に追い込まれつつあったからである。

 江戸幕府による藩の構成は、主として石高制(重農主義)によるものである。ところが、中期から後期に至ると経済の発展により、お金は商人に集まりだした。いつしか知らず知らずの中に重農主義から重商主義へと移行して来た時代でもあった。政治の権力そのものは、相変わらず武士の手にあったが、すでに経済の実権は士農工商の最下位に位置していた商人の手に移っていたのである。当時の殿様達は江戸に往復する参勤交代の費用にさえ事欠く有様で、始終金の工面に四苦八苦していた様であった。特に1800年に入ってからの時代は、世界的に小氷期の時代に入っており、石高制そのものの崩壊を招きかねない飢饉が全国的に多発している。

 庄内藩の代々の藩主が、そのような時代の移り変わりを何処まで把握していたのかは分からないが、武士達のともすれば太平の世に慣れ親しみ軟弱になり勝ちな体力を維持するための方策が、遠足(当時の庄内藩では鳥刺し、磯釣りを意味する)であり、その遠足なるものを庄内藩の藩侯は盛んに奨励している。遠足の奨励はひとつに形を変えた家臣たちの体力の増進、戦闘能力の維持を、藩主の意図するところではなかったかと考えられる。趣味の延長が、知らず知らずのうちに体力の増強に繋がって行くと云う一石二鳥を藩主の考えた遠足でなかったかと推論している。

 藩の軍師を勤めた秋保親友の「野合日記」の序文「魚鳥獲記」の先頭に「それ山野に鳥を追い、海川に釣網をなし、歩行を健やかにするは武用の先務なり・・・遠足は(藩侯が)武用の一助と兼ねて仰せだされもあれば、若者の勤めと思い込みたるに倦みなく、年々修行積めり・・・」と書き出している。しかし、「殺生を武用を以って論ずれば、お鷹野は御列卒は格別、次には鳥刺し・・・慰を以って云う時は、楽しみ釣りに勝るもの無し・・・・」と秋保親友の本音を洩らす一文がある。いくら個人的な日記とは云え、如何にも釣好きの秋保親友ならではの本音を書いた文章であるとしみじみと読ませていただいた。そのように趣味と実益を兼ね備えたのが、庄内の武士の釣であったのである。藩主の思いと家臣の利害が一致し、知らず知らずのうちに家臣達の身体を作っていた事になる。この体力の維持が戊辰戦争に生きてくる事になるのだが・・・・。

 とは云っても其処は武士の釣であったから、庄内独特の色々な制約やマナー、云い回しがあった。そのマナーや制約は先輩から後輩へと代々受け継がれている。例えば腹ぼての食っても美味しくない春のノッコミ黒鯛は決して釣らぬ事(ただでさえ昨今は、釣り人が多くなっているのに、春先からの黒鯛を釣り、激減に拍車を掛けている)と戒め、ことに釣竿等は刀同然に見たて、決して跨いではいけない、良竿は子々孫々に伝うべしとある。その外、釣らんが為の磯場での危険な行為の回避等々。又磯釣りに行く事を勝負と呼んで見たり、釣り上げた魚を屠ると呼んでいる事など挙げればいくつも出てくる。

 また挨拶に「今朝の御勝負は、如何で御座ったか?」「如何にも、今日は大勝負で御座った!」とは、うまく大物をかけてのやり取りが出来た事を云う。他に大物をうまく取り込みに成功すれば名勝負と云い、まったく釣れなければ、空勝負と云った。ここ庄内に武士ならではの云い回しが、数多く残っている事=武士の育てた釣であったからに他ならない。庄内の釣り人にとって魚と勝負とは、何とも心地良い響きの言葉である。