第21話    渚釣り一考」   平成18年09月11日  

 昨今全国的に流行している渚釣りであるが、温海町のおけさ会が始めたと物の本に書かれそれが全国的に流布している。が元はと云えば「浜釣り」と云い湯野浜の釣り人たちが、その浜からの黒鯛釣りとして昔から釣りを行なっていた。

 現在は流砂が溜まりすっかり浅くなってしまい中々思うようには黒鯛を釣る事が出来ないが、湯野浜温泉の直ぐ南にある磯釣りの名場として知られる「長磯」辺りがその発祥の地といわれている。湯野浜温泉の釣りクラブの人達が、新米の釣師たちの練習の場として浜からの黒鯛釣りをやらせていたと云う経緯がある。この事は鶴岡近在の釣師と云われる人達の間では半ば常識として知られている事であった。がこの釣り方は本来磯で黒鯛を釣ると云う庄内釣りの常識から見ればから見れば邪道の釣であったから、飽くまでも練習の釣りとしての釣り方であった。従っていくら浜の釣りで大物を釣り上げたとしても、この釣り方で上げた黒鯛は、釣った数に数えられるものではなかったのである。

 つりの経験の無い初心者は直ぐに磯釣りをさせる事は、危険である事と三間半ほどの竹の長竿(延竿)の扱いに慣れてない事がある。そこで磯よりも危険の少ない浜から完全フカセで長い竹竿でバカを1ヒロ半〜2ヒロ程とり、餌をポイントに正確に投入すると云う練習をさせる事としていた。それでも黒鯛が釣れて来たと云う話である。しかし同じ黒鯛を釣っても、浜から釣った黒鯛では、有難味が違うと云う庄内ならではの事情があり、その釣り方は庄内では主流の釣りとはなり得なかった。何故なら庄内釣り=磯釣りと云う伝統があったから、かたくなに武士の釣りが継承されて来たからに他ならない。

 ところが、今から30年ほど前ユニークな地方の釣法の紹介として「渚のクロダイ釣り」と云う本が出版された。たまたま温海町のおけさ会の人たちが行なっていた釣り方が一冊の本になって、全国に紹介された為に渚釣りと云う名前で定着してしまったと云うのが、実情である。この渚釣りの命名も、編集者のインパクトのある名前をと云う考えにより付けられたものである。それが現在本来の浜のフカセ釣(浜釣り)からウキ釣りなどに多様に変化を見せ、全国的に広がりを見せた黒鯛の釣り方となって定着している。

 おけさ会のメンバー達は他のシーズンでも釣れるのであるが、資源の枯渇を考えてシーズンを主に晩秋から初冬にかけて渚の黒鯛釣りを行なっている。それほどに釣れる釣でもあった。この会の立派な事は、釣るだけではなしに定期的に毎年黒鯛の稚魚の放流を行なっている事である。その釣り方は浜からの払い出し(ハキ)を利用し、撒餌(オキアミ)を打ち黒鯛を集め3間半から4間位の軽くて丈夫なカーボンのヘラ竿を改良した中通し竿で、伝統のフカセ釣りで釣ると云う物である。

 話は変わるが、尾花沢市で発祥した筈の花笠音頭が、多少手を加えられて山形市の花笠音頭として、東北四大祭りとして宣伝された結果、現在では「山形の花笠」と全国に知られるようになったのと同じような事情であるように思える。