第30話    「荘内沿岸釣場絵図   平成18年11月13日  

 先日加茂の水族館の館長から、昭和18年正月に花岡氏と云う人物が和紙に書き写したと云う「荘内沿岸釣場絵図」を借りて来た。A6より少し大きめのサイズの和紙に墨と絵の具で達筆な筆で書いており、かなり絵心の知れた人物の様である。そして一枚一枚丁寧な写し取り、表紙から裏表紙まで合計190余枚と云う、気の遠くなるほどの大作である。これを画いた頃は太平洋戦争真っ只中である。戦時中の事とて、釣場絵図などを画いていたと知れたら、非国民と呼ばれかねない時代である。そんな中で画いたとは、花岡という人物、余程のツリキチだったに相違ない。その中を見れば現在では名を聞いたことも無い釣岩が多数画かれている。はたして元々の原作者は誰であったのであろうか、各々の釣岩の特徴を的確に捉えている絵図ではある。コピー機の無かった時代、江戸時代さながらこのようにして各自が一枚一枚丁寧に画き込み、写しとって一冊の本にし片手に本を携えて釣りに出かけたのであろうか。それにしても、かなりの努力と根気の要る作業である事は、確かである。

 自分はこの貴重な資料をコピーし、カラーでパソコンに入れて修正しながらの作業に概ね二週間余りを費やしている。貴重な資料と云う事で、取り扱いには、人一倍気を付けなければならぬし、画像の修正の細かい作業では目が疲れることおびただしい。そんな訳で思った以上の時間がかかった。

 内容を見れば湯野浜加茂間〜加茂油戸間〜油戸上磯〜三瀬シモ磯と湯野浜から小岩川辺りまでの釣岩が続いている。その間魚の絵、子供たちの浜遊びの風景等が画き込まれており、中々面白い。これなども原本に忠実に画いたものであろうと考えられる。最後に余白録と云うのがあり、釣の行う時の心得や注意、天候や波の見方、二歳釣や黒鯛釣の要領などが事細かく書いてある。これなどは現在釣をする上でも、当てはまるのではないかと思われるほどの出来である。又、経年変化で波の侵食により岩の状態も変わったりするので半分岩の絵を貼ってあったりする事から、絵を写した人物が次々に、新しい情報を足して行ったものとも考えられる。

 この「荘内沿岸釣場絵図」を見るには、昭和13年発行の自湯野浜至加茂「釣岩図面(山内善作著・菅原釣具店=陶山槁木の釣岩図解が種本と思われる)を脇に置いて見るとその釣り場の位置関係が良く分かって来る。かつて荘内日報社から出された荘内名釣り場という本がある。本間寅吉と云う人物が、湯野浜から鼠ヶ関迄の名釣り場110ケ所を選び載せた本である。この本では手前からペン画で手前からの立体図風に画かれた物であった。現場に行った時に、一目で分かる様に戸の心遣いであろうと思われるのだが、現地で見ると磯に詳しくないものにとって其れが中々分からなかった。

 ところが「荘内沿岸釣場絵図」と「自湯野浜至加茂釣岩図面」の二つを手元に置いて見ると釣岩が手に取るように分かって来る。釣り場の位置から、竿の出す場所等々・・・・。ついでに昭和三十年代後半から長谷川釣具店の店主が以前に作られた絵図を元に現地調査して「釣り場詳解」作ったが、これを見て見ると、これが意外と雑である。と云う事で、今まで見た限りでは、前者の二つに勝るものはないという結論に達した。古くとも良いものは、良い。

 過去に色々な庄内釣の資料を収集しているが、これ等は自分にとってのお宝の一つとなるであろうと思われる二つの貴重な資料である。ただ残念な事に余りにも達筆な筆字の為、一部読めないでいる箇所が幾つかある事である。