第33話    庄内沿岸釣場絵図その後」   平成18年12月04日  

 磯図のコピーを急いでやって見る。前回の荘内沿岸絵図と異なりこちらは、白黒のコピーの為割に楽である。B4版に左右の絵図が撮られている。PC用のスキャナーがA4であるから、二度に分けて撮らなければならない。それでも何とか66ページを二日に分けてすべて、コピーした。庄内沿岸釣場絵図から見れば、数が少なくコピーであるからモノクロであるからコピーが随分と楽だ。それでも貴重な資料であるから、写し損ねのないように緊張してコピーをとる。

 絵図に画いてある釣岩の名前を出来るだけ原本に忠実に付ける事にした。この当時のものは頗る当て字が多い、これは江戸時代からの名残とも考えられる。漢字の部分がカタカナで表示されている物も少なくない。江戸時代からの侍たちの当地の風習を少なからず覚えていなければ、現在の同じ釣り場と特定が出来る物ではない。通常は音を正確な字で表現出来ぬ時に万葉仮名の様に適当な漢字を当てて書くと云うものであるが、それが日常化しやたら滅多に使うようになっていた。字を書いていた本人は、自分が判ればそれで良しとすれば良かったであろうが、後世の人間にとっては解釈の問題が生じて来る事が色々とある。どちらにしても磯図の釣岩に関しては、表音の読みが優先する事が多い。現在の言葉ではその表音の意味する所までは、中々解釈までは判るものではない物が多い。

 例えば女郎が身を投げたと云われる女郎岩等はその物ずばりで判り易い岩である。長い岩だから長磯、岩の形や色から名づけられたと見える鍋岩、赤岩、屏風、中嶋、獅子岩、烏帽子岩、鰐澗、赤岩、鐘岩、丸岩等がある。又1780年の頃家中新町の住人で釣の名人であった生田権太が好んで釣ったと云う岩が権太岩若しくは権太場と云われている。釣りの名人が好んで釣ったであろう岩はこの他数々見受けられる。陶山場、専右衛門場、坂右衛門場等然りである。他に長吉岩、萬蔵場、兼子澗(カネコノマ)弥十郎場と云うのもある

 現在では意味不明な釣り場としてシリシャリ、スサキ、ザワラ、ゾウト、ノバイ、折戸(オリト)、サンバソウ、下駄八頭、カク、ズイメキ、ザクメキ、フク場、ヲソ岩、スベリ澗がある。当初はそれらのすべてについて、意味があって付けられたたのであろうが自分たちには分からぬものが多い。時代が下がるにつれて釣り場が開拓され、取捨選択され新たに名前が付けられた釣り場が出て来る。これらの大半は現在も知られている物もあるが、すでに釣れなくなったり、港湾の工事などで無くなった物も少なからずある。これらの現在に残る釣岩の大半は、江戸時代に活躍した生田権太等によって名付けられたものが多いと云う。