第34話    ニガタケの竹薮」   平成18年12月11日  

 11月の終わりから12月の始めにかけて、竹堀を行った。竿になるような良い竹を作る為には、当然人工的に竹薮の手入れをする必要がある。自然のままに生えている様な竹薮では、中々良い竹を見つけることは大変な作業である。江戸の昔から、プロの竿師の人や素人の竿師たちは名竿や良竿を求めて庄内各地の竹薮を転々と探し回っている。しかしながら、現在では、昔多くあったニガタケの竹薮は開発や伐採等で殆ど無きに等しい。僅かに土手の護岸の為に植えた物とか冬の季節風を守る為に小さな神社や人家の周りに植えられた物か、又々昔釣好きの人が居て庭先に植えた物位しか残っては居ない。農業資材としての竹の需要が少なくなった事にもその一因があるのかも知れない。しかし、その殆どは現在手入れも無しにそのままになっているのが現状である。

 そんな竹薮には曲がった竹や丸みを帯びていない歪な竹、擦り傷だらけの竹などが込み合いぎっしりと繁茂しているのが常である。適度にその曲がった竹や丸みを帯びていない竹を間引きしてやり、適度な空間を作ってやる必要がある。込み合っていれば、冬の季節風で竹と竹が擦れて竹肌に傷が付く事にもなる。良い竿が出来る様にする為には、竹が素直に真直ぐに伸びるようにしてあげなければならないのだ。又、冬の季節風の吹く前には、竹を何本かまとめて縛ってやると云う事も、擦り傷を防ぎ真直ぐに伸ばす為には必要な事である。

 その昔、名竿師たちは毎年竿作りの為の竹を貰う為に、ついでに竹薮の手入れを怠らなかったとも聞いている。そんな事が竿師の信用にもつながり、毎年竹を刈らせて貰える事にも繋がっていた。竹薮の持ち主も手入れをして貰い、竿師は良い竹を刈らせてもらえると云う持ちつ持たれつの関係が存在していた。昔はその竹は農作業の為の必需品であったが、現在では必ずしもその竹を必要としなくなっている。だから現在竹薮を持っていても、価値が見出せずその殆どの藪は荒れ放題となっているのが現状である。

 一頃竹薮に竹を刈りに行った人たちの中には、悪さをした者も少なからず居たと云う話もある。一度掘っては見たが、案に相違して良くなかった為に知らん振りして竹を埋めて見たり、又竹の枝葉を現場に散らかして帰る者が数多くいたらしい。そんな事の積み重ねが農家の反感を買って、いつしか竹を掘らせて貰えなくなると云った状況と作ったのだと聞いている。そんな無責任な一部の者の行為の為に、竿を作る人たち全部が悪者となってしまったのだ。

 昨今、竿を作る人たちが著しく減少した為にそのような事はまず無くなって来たと思う。それでも、中々取らせて貰える竹薮が少ない。一本幾らか金を払えば掘らせて貰えると云う農家があったと云う話もあるが、その場所は判らない。また農家が自分で掘った竹を一本百円と云った価格で売っていたと云う話もある。現物を見なければ、竿に出来るかどうか分からない訳で何処の部落の何と云う農家か迄は、聞く事が出来なかった。

 自分の場合は、大抵自由に掘らせて貰える場所を探して竹堀りに行っている。今年は大山と本楯のとある農家に頼んで合計10本ほどとウラに使う竹少々を掘らせて貰った。他人の屋敷の中と云う事で、特に神経を使い「散らかさない、周りを傷つけない」をモットウに竹を掘った。「何で自分だけが良ければと良いと云う、狭い島国根性の人が多いのか?」と思いながらの竹堀であった。今年竹を掘っては見たものの、果たして何本竿として使えるものがあるのだろうかと考えながら、枝葉と袴を取り、竹を洗って天日乾しを行っている。