第37話    新しい釣りと古い釣り」   平成19年01月01日  

 意外と昔の釣り人の話に耳を貸さない若い釣り人が多い。昔の釣りと今の釣りとでは一線を画すとでも思っているらしい。しかし、自分では例え昔の釣法であっても、一理あるものも結構あるのではないかと思っている。その理由として昔からの釣り方が現在にまで長い年月に渡り使われて来たと云う事は、それなりに釣れるから使われて来たからに相違無いと思っているからである。ただし主として技の習得が、中々困難であることが災いして使われることがなくなった物が多いのではないだろうか。その技を現代に利用出来る物は、積極的に取り入れて利用すべき物と考えている。百数十年の長きに渡り、発展して来た物に悪かろう物は無いとは、自分の考えである。

 確かに新しい釣法は昔釣る事が出来なかったタナや沖を新しい道具を使って探ることを可能にした。釣り方の原理や釣り方その物はそんなに大幅に変わったもの等いくらもないのではないだろうか。しかしいくら新しい釣り方が全盛とは云え、釣り人の道具の使い方によっては、必ずしも魚が釣れるものとは限らない。大体絶対条件である魚が其処に居るかどうかの判断は、今も昔も全く変わっては居ないのである。昔の釣では其処に魚が居るのが分かっていても、ポイントが遠すぎて釣る事が出来なかったと云う事があった。少し遠くのポイントで釣るには、竿とバカを長く取る事で対応出来たものの、それ以上の遠く釣は出来なかった。だから魚を寄せる為コマセを使いハキ(離岸流・払い出し)を利用した。このハキを利用する庄内の釣では、原則完全フカセの釣である。ウキの使用等はもっての外であったから、自ずとその釣には限界がある。だからハキの払い出しを出来るだけ有効に使って、撒餌で竿の届く範囲に魚を寄せて餌を自然に流してやり、魚を喰い付かせると云う演出(釣り方)が、主流となっていた。

 昔の弱く太い道糸に、太いハリスを使った釣り方で、如何に大きな魚を釣り上げるか?と云う事が、庄内の完全フカセ釣法の確立の課程の中で考え出されている。それがナイロンテグスの時代を経て今やより丈夫なカーボンテグスの時代となっている。昔考えられないような細い道糸、ハリスで魚がどんどんと釣れている。現在の釣では究極の高度なテクニックはさておき、一応魚が釣れる技術のマスターは比較的簡単な練習で誰にでも物に出来る時代となって来た。数度かの釣行で釣れる場所とタイミングさえ、覚えてられれば誰にでも程々の釣果が期待出来る。そんな状況は釣り人の数を、考えられないほど増加させている。

 江戸時代の釣では比較的裕福な商人階級や武士達が釣を始めたが、その後次第に暇な時間が出来た庶民にまで広がって来ている。落語などに出てくる釣り人の代表は、決まってご長屋のご隠居さんである。生活の基盤があって現役を引退した人たちが、暇をもて余しての釣が多かったのである。庄内では生活の基盤があって食うに困らない者、つまり武士たちがいた。そんな人たちが中心となって釣が発展している。

 そんな釣が庄内では明治以降、士族中心の釣から庶民中心の釣へと次第に移って行った。庶民の中にも時間のゆとりが出来た来た者たちによって一部の裕福な特権階級の釣の面白さが分かって来たからである。裾野が広がれば、それを中心に産業が起きて来る。いわゆる釣の業界である。いざ釣りを始めれば必ず他人より多く釣りたい、デッカイのを釣りたいと云うのが、人情と云うものであるから釣具の発達は目覚しいものがあった。と同時に新しい道具は新しい釣り方をも開発した。一部を除き誰もが釣の技術を比較的簡単に、習得出来ると云うものになって来たのは当然である。

 一部の特権階級だけの釣りと庶民を巻き込んだ大勢の釣りとでは、どちらが良いか悪いかの判断は難しい。釣り人が少なかった時代は、釣り場を汚したり、荒らしたりする事は、そんなに多くは無かったと云える。釣り人が多くなった頃から、釣り場を汚したり、荒らしたりと云う事件が多発している。それに魚の数がめっきりと少なくなって来たのも事実である。

 釣具の発展と共に、釣り人が増えた。そして魚が減少している。年々釣り場が汚れている。ただ釣れれば良いと云う釣から、数は釣れなくとも釣を楽しむと云う釣りの考え方を普及しなければいずれ魚はこの世から居なくなるのではないかと心配している。