第39話    庄内竿の竹堀り」   平成19年01月15日  

 今年の冬は、何とか竿になりそうな根付の竹を7~8本取ることが出来た。ただし、残念なことに目標にしていた二間半(4.5m)の竹は一本もない。すべて二間(3.6m)全後のものばかりである。

 今年探した竹薮の竹は多少北西の風が当たる関係で背が短いようだ。そしてちょっと長い竹があったと思うとすべてずんぐりむっくり竹ばかりであった。しかし、ウラ(穂先)用の竹は20本以上取ることが出来たのが、せめてもの慰めである。ご承知のように、苦竹の三年古以上の竹には、穂先が枯れている事が多いので一本の延べ竿にする為には、必ず多くのウラを取っておく必要がある。庄内竿は他の地方の竿と異なり原則的に一本の竹から作られるが、ウラだけは枯れている事が多いので一本の竿を作る為には、あらかじめ取っておいた、沢山のウラの中からその竿に合うものを探さなければならない。その為に出来るだけ多くのウラを持っていなければならないのだ。

 明治の名竿師上林義勝などは、名竿を仕上げたものの其の竿に気に入ったウラがないと云い、20年間も探し続けたが、完成することなく生涯を閉じたと云う逸話があるほどである。後に酒井の殿様が、もったいないと云って、其の竿に昭和初期の名人山内善作にウラを付けさせて使ったと云われている。完全な一本の竿にする為には、名人たちはその位の神経を使ったのである。通常の素人のなまくら竿師は、多少の合う合わないをごまかしで一本の竿に仕上げてしまうことが多い。

 そんな竿でも釣竿として使って使えないことはない。しかし、そこは名人が作った竿との違いは見る人が見れば其の差は歴然として分かる。しかし、釣の初心者が釣を単なる遊びとして楽しむ竹竿と見ればそんな駄竿でも十分に遊べる竿である。名人の作った竿は、それに釣り合った価格であるから、実入りの少ない我々では中々買えるものではない。釣具店の職人達が冬から春にかけて作ったお世辞にも名竿とは云えぬ大量生産された竿でも、結構価格である。そんな大量生産された、しかも値段の高い竿に飽き足らない多少手の器用な釣人等は、当然自分自身で竿造りを行っている。そんな中から、名人級の人も沢山出ている。

 竿作りの第一歩は、竹薮の中から竿に適した竹を探すことから始まる。ひとつの竹薮からこれはと云う竹を探すのも一苦労である。第一の条件として、その竹が、少なくとも三年以上経っているものでなければならない。実際に竹薮でたけのこの状況を見ると六月頃に出るものもあれば、七月に出るもの、また少し遅れて九月頃に出ているものもあるから、其の判定は中々難しい。素人の我々の簡単な見分け方のひとつは、はかまを見れば良い。一年目の竹は横枝がほとんど生えず、竹のはかまは竹肌にぴったりとついていて色が綺麗だ。一、二年目の竹肌を一見して青くてみずみずしいのが特徴のひとつである。それが三年目以降になるとはかまが取れ始め、年数に応じて横枝が多くなり、竹の先端が枯れ始めたものが多く、竹肌の色に変化が出で来る。四年目以降になれば、青い竹肌は大幅に少なくなり、横枝も枯れて無くなっている竹が出てくるし、99%の竹の先端部は枯れてしまっている。