第44話    「名竿師 山内善作の著書 V」   平成19年02月19日  

 昭和9823日午後4時から僅か一時間ほどの間に善作は二歳を六尾上げた。以前の善作であれば、二歳のような小物は釣ってはいなかったが、晩年体調を崩してからの善作は良く下磯で釣をした。そんな時の事である。

 この日は東風で静波であるが、少しの濁りがあり海底迄は見えないと云う状況下にあった。善作は最初二分(現在の2号に当たる)の角鉤(カクバリ)に生きの良いゴヱビ(ヌマエビ)を付けて放り込んだ。しばらくして、第二投目に当たりが出るも合わせることが出来ない。続いて三投目穂先が七分(2.1cm)ほど引くも、これも合わせる事が出来なかった。そこでエビの食われ方見ると頭だけが食いちぎられている。

 そこで善作は鉤を尻尾から縫って鉤を頭にかけて見る。しかし、これでも合わない。注意深く餌を見れば、胴だけが食いちぎられている。かつて湯野浜の岩本屋の主五十嵐三郎右エ門から聞いたエビの付け方を思い出す。「狡猾な二歳には死んだエビの頭の皮をむいて尾の先から尻刺しにするのが良い」と。死んだエビの頭をむいて鉤にかけて釣ると、今度はうまく当たりが取れて釣ることが出来た。その後の善作は黄鯛、二歳釣には必ずこの餌のかけ方で通したと云う。

 通常であれば第一図のエビを生かして釣ると云う、所謂チョンガケと呼ばれる釣方が一般的である。この釣り方は、エビを出来るだけ長く生かしておき、魚がエビを咥えようとすると、ヒョイと逃げる。そこで魚はエビを食いたいが為に夢中になり、エビに喰らい付くと云う釣り方である。エビ餌の場合、自分もこの釣り方を多用している。第二図のかけ方は滅多に使うことは無い。庄内では思いっきり竿を振っても餌が取れないと云うことから、生きているエビを皮をむかずに通常三図の様に尻刺しで釣る人が多い。このかけ方は、エビが直に死んでしまうので死ぬと餌を交換する。しかしわざわざ死んだエビを選んで使うと云うのは聞いた事が無かった。釣りの名人であった善作もそれまで半信半疑の餌の付け方であったのである。

 釣り場の条件(天候、潮、濁り・・・・等)に合わせた釣り方を考えた時、自分なりの創意工夫で釣っていた筈と思っていたが、釣は奥が深い。まだまだ初心者の域を超えていないと思い知らされた一文である。自分には「死んだ餌よりか、生きている餌の方がが絶対に釣れる」と云う先入観があった。しかし、オキアミを餌にしている時で、魚がいるのに極端に食いの悪い事がある。そんな時にオキアミの頭を取ったり、皮を剥いで美味しい脳ミソの部分を残して釣る事がある。それと同じではないか?

 やはり人より釣果を上げるには、先入観にとらわれない釣りをしたいものだ。なまじ常識の釣りに固執し過ぎていたのではないかと思える。同じ餌を使っても、その時の状況で多様な変幻自在の釣りが出来るようになれば、釣の名人の端位に位置する事が出来るやも知れぬ。自分のような釣の迷人の迷いを一気に晴らしてくれた一文である。釣は知れば知るほどに奥の深いものだ。「たかが釣、されど釣」である。