第45話    「名竿師 山内善作の著書 W」   平成19年02月26日  

 善作の本を読んでいくうちに、懐かしい文章に出会った。それは当時の道糸に就いての記述である。「篠子鯛(シノコダイ=鶴岡では黒鯛の当歳魚を云う。稀に二歳を含める人も居る)程度の小物釣には人造テグスの改良されたもので良い。ラージテグスも蜂印茶人造なども皆人造物を改良されたものである。在来の膠で堅めた人造テグスは誰も知っているように最も悪い。改良された茶人造とかラージテグスとかは、水に浸してもぬるぬるもしないし、結び目からこけることもないから、小物釣りことにキス釣などには水切りが良くてツボ糸(当時大工が使う糸でかなり安価で買えたので、それを釣り糸に転用したもので一般にかなり普及していた)より勝っている」とある。善作の云う膠で堅めた人造テグスとは、絹糸をゼラチンで固めたもので、それが普及していた事から聞き違いか、覚え違い(?)したとも考えられ。丈夫なナイロンの釣糸が普及する前に使われていた人造テグスとは、前述のように絹糸をゼラチン処理したもので、大方昭和30年代の中頃まで盛んに使われていた。それは半透明の釣り糸で、水に浸けると段々水を吸収し、ふやけて来て白っぽくなり次第に釣糸が弱くなってくると云う欠点があるのだが、高級な本テグスより安価であることから、一般に普及している。お小遣いの範囲では、中々本テグスは高くて買えなかったが、人造テグスやツボ糸、秋田糸(絹糸を柿渋で煮てより丈夫にした物)等は随分使ったものだ。

 善作はより大きな黒鯛を釣るには、丈夫なツボ糸に限ると善作は云う。人造テグスの欠点は岩擦れに弱いことが最大の欠点である。改良されてヌルヌル感は取れて来たものの、使っているうちに糸ふけが出て弱くなって来る欠点があった。又特に面白いのが、善作は人造テグスは軽いことを欠点のひとつに挙げている事である。それは当時の庄内釣りでは糸の重さも餌を投げ込む為の重要なポイントだったからである。以前に釣りへの想いの中で、庄内釣りの具(道糸)の長さは、上手な人になると竿の倍の長さの人も居たと書いた。釣師としての善作も竿捌きが、上手であったらしく二間半(4.5m)の竿で、道糸は6ヒロ(約9m)、二間竿(3.6m)で5ヒロ(7.5m)の長さとっていたと書いている。自分で処理出来る範囲の具の長さが、ほぼ竿の倍と云うのは恐れ入る。これが正に庄内釣りの基本、完全フカセ釣りの基本であったのだが、すべての釣師がこの釣り方を出来た訳ではない。ちょっとでも風があれば餌の重みだけでは、余ほどの上手でなければ飛ばすことが出来ない。庄内釣り全盛の当時でも竿捌きの下手な人は、長い釣り糸のコントロールが出来ず具の長さは二〜三ヒロ取れば良い方で、見栄を張って長くすれば、遠くに飛ばすことが出来ず手前の沈み岩に引っかかっているのが関の山であったようだ。また見栄を張り馬鹿を長く取過ぎて、笑い者になった釣師も少なからずく居た。鴎涯の鳥羽絵「時の運」の中に竿師中村吉次が釣りをしていて餌がポイントに飛ばず、餌が足元に転がっているのを見て悪戯している図がある。ところが善作クラスになると潮の強い日や風の強い日でも軽目の錘りを付けるのみであったようだ。

 馬鹿の異常に長い釣りは、遠くのポイントに如何にして正確に届けるかが、その釣り人の腕次第となり、それが釣果に直結している。当時の釣では通常馬鹿が短い釣り人ほど、初心者、中級者と云う事が云えたようだ。従って馬鹿が長いと云う事は、当然魚の取り込みも難しくこの両方が出来なければ一人前の釣師とは云えなかったのである。その為に長い馬鹿をコントロール出来ない人ほど長い竿を使うことになる。ところが竹竿は長ければ、長いほどに現在のカーボン竿と異なり相当に重くなると云う欠点が生じ、体力の消耗にも繋がる釣となる。荒れた海での釣りは、長竿を使わざるを得ないが、余ほど釣り慣れた釣師でないと、竿捌きは出来るものではなかった。