第48話    「遊び竿作り」   平成19年03月19日  

 最近遊び竿として、苦竹の竹竿を竿作りを行うようになった。ニガダケに火を当てて矯めたりするのは、庄内竿を盛んに使っていた時代を除けばここ三、四年前からである。しかし、その昔竿を矯めた事はあっても、実際に竹から竿を作った事は余り記憶にない。子供の頃は小遣いが少なく、安価な竿を買っていたから当然癖が付く。竿の矯め直しを釣具屋に頼めば、金が掛かる。だから見よう見真似で竿の矯め方を覚えざるを得なかった。この数年HPを書くに当たって、自分で竿を作って見る気になった。少しでも先人たちの苦労が分かるようになればと思ったのだ。

 たたが思い付きの遊びの竿作りだとは云え、実際に自分で竹竿を作って見て分かった事は、竿作りは非常に難しいの一語に尽きる。何箇所かの竹薮を回り、竿になりそうな竹を探しあて地面から30~40cm掘り根に傷を付けぬようと取り出し、その竹を一通り使える様な竿に仕上げるまでの工程の難しさは、頭で考えていた竿作りとは大分違っている。その作業の一部始終は、素人の自分にとって並大抵の難しさではなかった。先人達が庄内中の数多くの竹藪を駆け巡りこれはと思う一本の竹を選び抜く目、そしてその竹をじっくりと何年もかけて鍛錬する。たかが一本の釣竿であるが完成する迄に、要する努力を考えると、中々凡人の自分にはおいそれと出来るものではない。言葉で云えば「たった一本の竹を矯めて竿にする」と云う簡単な行為を、自分が実際やって見てやっと分かる事が来た。

 今までの自分は完成された竹竿を買う立場であった。買う立場で云えば、これは良い竿だとか、自分の好みの竿だが質は落ちるだとか、簡単に批評する事が出来る。自分で作るとなれば中々そうは行かない。良い竿を作るには本来その竹が持つ素質を見抜かねばならない。竹はその竹その竹一本一本にすべて個性がある。その個性を如何に生かして、一本の竿に仕上げることが出来るかが職人の腕となる。一流の竿作りの職人が作った竿は、自分が培った長年の経験と勘で、数多くの竹の中から竿になりそうな竹を選び、精魂を傾けてようやく作り上げた竹=竿である。そんな精魂を傾け完成された竿を使い手はそうそう身勝手な批評や使い方をしてはならないのだと考えられるようになって来た。こればかりは自分で作って見なければ分からない。

 竹は加工され竿になっても、竹であるから呼吸している。ことに庄内竿の延竿では100年もの実用に耐えている。庄内竿の矯めは、独特で矯める場所に植物性の和蝋を丹念に塗る。そして火にかけしばらくするとその和蝋は沸々と泡立つ、その瞬間に竹を火から取り上げ、すばやく矯め木を当てサッーと矯めて行く。西洋ろうそくではいけない。沸点が異なり直ぐに焼け焦げが出来るからだ。そしてその時、決して竹肌に焦げ目を付けてはいけないと云う難しさがある。幾ら遊びの竹竿作りでも、決して竿作りに気を抜くこと許されない。自分の好みは安竿を多く買っていた関係か、本来の堅目でかっちりと締まった竿より多少柔らかめの竿の方が好みだ。その為自分が遊び竿として作っている竿もそんな竿が多い。胴調子というよりも、幾らか元の方から曲がる物が多い。その方が、合わせは難しいがその分魚が釣れた時が絶対に面白い。魚が散ると云って嫌う人もいるが、魚を釣る楽しさは量ではない。楽しんで釣る事が、本来の遊釣としての意味がある。量を釣りたいなら、漁師にでもなれば良い。