第50話    「釣と桜」   平成19年04月09日  

 今年も後数日で桜の咲く季節となった。日本には「花は桜木、人は武士・・・」と云う言葉がある。南北朝の末期桜井駅の楠公(楠正成)の子別れや仮名手本忠臣蔵で播州赤穂の浅野内匠頭の桜吹雪の中での切腹の場面等武士の潔い心情を良く表現していると云われ来た。それは江戸中期頃に歌舞伎などで上演されてから、=武士と云うイメージが民間に深く浸透したからであった。それ以後、春を表現するに桜=武士がその代名詞となって来た。それ以前は春の花と云えば、梅である。桜の花と云えば花期が短く咲き終わると直ぐにポトリと落ちるイメージから、短命と云う言葉が連想され武士にとっては、寿命が短いとか首が飛ぶと云う同義語と解釈されており、桜の花と云う言葉自体が忌み嫌われるものの一つになっていたのだそうだ。時代が変れば花の持つイメーや解釈までもが違って来ると云う典型である。

 ところで南九州に「田のかんさぁ」と云う田の神様がいるそうだ。サクラのクラ=座とは、神いる場所=住まいの意である。山から下りて来た神の宿る場所がサ・クラと云われるようになり、農作業神=穀物神の宿る依代(よりしろ)となる木がサクラと呼ばれたと云う。古代日本において暦がなかったから、毎年サクラの咲く頃になると農作業が行われたと云う名残が、いつしかその木をサクラと呼ぶようになったと云う説がある。サクラが満開になれば秋の収穫が=豊作が約束される。そこで毎年桜の満開の時期に、農作業の準備を行うようになった。そう云えば当地の鳥海山の山懐にある水田にも、山から下りて来る田の神様がいると云う風習がある。名前は違えど全国的に同じような神様が居る。

 昨今の釣は技術と撒餌の進歩で季節感の釣になって来ている。昔は暖かくなり、魚のノッコミの始まる時期になっておもむろに大方の釣人が釣りを始めたものだ。その目安のひとつが、梅や桜の開花時期である。まだ若かりし頃当地の桜は4月中旬から末頃になって、ようやく咲きはじめた。それが今では4月の初旬から中旬には、もう満開となっている。季節が約1014日早くなっている。当然、釣もその分だけ早く行われるようになった。ご承知のように庄内は海釣りが盛んな土地柄である。最近では余り川魚を釣る人が居なくなったが、春はノッコミの真鮒釣に始まったものだ。ついで鯉釣が始まる。山に雪が少なくなり渓流に濁った雪代が流れ下る頃、山女や岩魚釣が始まる。海釣り専門の人は、梅の花が咲く様になって海タナゴに、はじまりテンコ(ウスメバル)、ドコハジメ(キツネメバル)、シンジョウ(アイナメ)、アブラコ(クジメ)等の小物を狙うようになる。

 かつてゆったりと時が流れていた時代、花で季節を知った時代があった。それがどうだろう、釣の技術革新はまだ寝ている魚を起こしてまで魚を釣ってしまうと云うオールシーズンの釣になってしまった。確かに他人が釣っていない時期に魚を釣ったと云えば、それもひとつの快感であろう。得てして、そんな暴挙は魚の減少に繋がっているとは考えられないだろうか?

 自分が釣らなくとも、誰かが釣ってしまうから釣らなきゃ損々では困るのである。限りある資源を大切にし、後身に釣の醍醐味を残す事も釣り人の勤めではないだろうか。「花は桜木、人は武士・・・」とは、江戸時代庶民が思い描いた武士の潔い心情を表している抽象的な言葉であるが、釣り人も少しは見習って欲しいものである。