第51話    「釣道に思う」   平成19年08月14日  

 最近横綱朝青龍が夏巡業をサボり、故国モンゴルでサッカーに興じていたことが、連日新聞、TV等マスコミを賑わしている。前々から品格に難があるとして、横綱審議会から注文付で横綱になったと云う経歴の人であるから、見方によってはこんな事があると思われていたのは当たり前のことであった。ただ単に強いからといって、難のある人物を横綱にすること事態が間違っていたと云える。そんな横綱だったら、結果的に貴乃花以降横綱不在の方が良かった。

 相撲の世界は縦社会である。にも拘らず、親方の云うことは聞かない。2003年昇進の伝達式に「これから尚、一層稽古に精進し、横綱として相撲道発展の為に一生懸命頑張ります」と発言したのうそだったのか?横綱を受ける為の発言であり、形式に捉われた型通りの発言であり、心底からの発言ではなかった事は明らかである。マスコミからの情報では、良きに付け、悪しきに付け朝青龍の日頃の情報が流れて来る。そのほとんどが、良いものでなかった。先代親方の法事をすっぽかしたのも、ほんの少し前の事である。同じ相撲道の大先輩を敬うこと、まして部屋の親方であればいくら外国人であれ敬意を払い出席せねばならないと思うのだが・・・・。人種、宗教こそ違えどもそれが人としての道(どう・みち)と云うものである。

 日本人は剣術と剣道、柔術と柔道など術に何かと道と云う文字を付けたがる。術と道の違いは何か?ただ強いだけでは、人から好かれ尊敬に値する術の頂上を極める事が出来ないとされているのである。術においても最高であり、一角の人物(品位、品格)でなければならないのだ。明治期において嘉納治五郎はそれまでの柔術(武術)に人としてのあるべき姿(人の道)に力を入れ、それを柔道と名づけた。明治15年に講道館柔道として産声を上げたが、かつての柔術の強いが一番とする考えに固執した者は破門している。飽くまでも柔道とは、人間形成のひとつの手段であった。彼は後輩の育成に成功し、世界の柔道にしてしまった。

 この道なる言葉の真の意味を外国人には中々理解出来ない。その道を極めた名人とは先人に素直に頭を垂れ、敬いの心を忘れず、素直に頭を垂れ聞き入り、技は最強であり尚且つ本人も一角の人物で無ければならない。日本のマスコミの取材にあるモンゴル人が云っていた。「モンゴルの最強の横綱は、ある程度の我侭をしても許される」と。それは遊牧民チンギス・ハーン以来の伝統かも知れぬ。しかし、ここは農耕民族の国日本である。その国で活躍するには、「郷に入っては郷に従え」の心がなければならない。毎年行われる地方を回る巡る夏巡業は、相撲道普及の為の貴重な行事である。正規の場所を中々見ることが出来ぬファンに相撲を見てもらうと云う絶好の機会である。文部省管轄の財団法人相撲協会は税金を払わなくとも良い。よってその公式行事を休むと云う事は、余程の事情が無ければ休むことは許されないのである。単なるイベントではない。そのあたりを相撲協会や部屋では新弟子の中にキチンと教育しているのであろうか?相撲協会は大相撲の興行、相撲競技の指導・普及、相撲に関する伝統文化の保持などの目的として、1925年に設立された。文部省の管轄となり、税金を払わなくとも良い財団法人なのである。残念な事に最近の相撲協会は利益を伴う興行を重視して来ており、本来の目的を少し外れて来た感を否めない。その事が今回の不祥事に結びついて来ているのではないか。とすれば人気を呼ぶための横綱を選んだ相撲協会、部屋、横綱審議会すべてが悪いことになる。特に横綱となれば心技体の三つが一致されることが、要求されているからだ。

 一方釣りは釣りの上手を名人、達人と呼んでいる。いくら釣が上手くても道を外れた人を誰も名人とは云えない。自称世の中に釣りの名人は沢山いるが、真の名人はそんなに多くはいない。逆に釣があまり上手で無くとも、後世釣りの名人と呼ばれた人物も数々いる。文豪幸田露伴、井伏鱒二などがその範疇に入っている。一般に相撲や剣道、柔道など試合で勝負が決するものでないものの、釣に関しては、技と品格が備わったとされれば名人、達人と呼んでもさしつかえないのではないかと思える。

 確かに魚釣りには競技会もあり、勝ち抜きで各メーカーの全日本のチャンピオンに輝いた人物もいる。ただし、その日の条件、運も左右されるもので有り、ただの上手だけでは真の名人とは云えない。道を究めたとする名人、達人は、数年、数十年たってから後世の人が評価するものである。地方にあってそんな埋もれた人物を探すのも、釣りをする者にとっては楽しみの一つであることも確かである。