第52話    「自作竹竿の試し釣り」   平成19年08月24日  

 昨年11月に採って来たニガダケを暇な冬に一生懸命自分なりに矯めた二間余りの三本の庄内竿が手元にある。本来完成まで後四年位は毎年鍛えなければならないのであるが、作ったばかりの竿を何とか早く使って見たいと云うのが人情だ。ついつい我慢が出来ず、これからの釣行の度に使って見る事にした。毎年今頃の時期になると春と異なり一段と引き味が良い二歳物(15223cmの黒鯛の子)が釣れて来る。

 8月21日最近二歳物が当たっている通称向川(ムケガワ=袖岡埠頭)に行って見る事にした。先ず試すのは二間八分(約384cm)の今年作った竿の中で一番長く気に入った竿である。それは軟らかさも一番であるがズキ根の形をした根っ子(通称芋根=イモネとも云う)がすこぶる良い。庄内竿と云う物は原則的に根から穂先まで元々一本の竹そのものでなければならない。他所の竿作りは気に入った竹を竿にする為に、何本かの違う種類の竹を選りすぐり、それら?ぎ合わせて一本の竿にする。今回の竿は長さを車の長さに合わせ、螺旋式真鍮パイプ継ぎの二本継ぎにした。真鍮パイプに螺旋を入れる機械がないので自分では繋ぎ合わせる事が出来ない。そこで加茂水族館の村上館長のご好意に甘えに切って貰う。竿が完成する前に使うのは自作の竿作りに、自信が無いからでもある。使って見て何とか次回の竿作りの参考にしたいとの意味も含んでいる。

 一本の竹を用いて作る庄内竿の竹質の見極めは大変難しい。自然の状態で生えている竹は、土壌の関係からかおのずと竹薮毎に性質が異なる。似ている物はあっても一本として同じものは無い。何十年も竿を作っているベテランの竿師と違い、竹の目利きは極めて自信が無い。しかし、例え自分で作った竿が駄竿であったとしても、その竿で釣った魚の手応えは買った竿と比較してまったく違う筈とも考えている。そして現在でも竹竿で釣っている庄内の釣師の誇りは、小さな黒鯛一枚を釣り上げたとしてもそれなりの感慨を持っている。それはその昔殿様や御家来衆が釣ったと同じ手応えを感じながらの貴重な一枚であるからに相違ない。

 コアミを少々と粉物を自分の独自のブレンドした撒き餌に比重を付ける為の砂と水加え、ポイントのやや上流に投入する。上手くポイントを作る事に成功したか、釣り始めてからしばらくして最初の一枚が釣れた。型は15cmとやや小振りだが、良く引く。竹竿を通して独特の心地良い感触がストレートに伝わって来る。やはり竹竿は竹竿である。日頃使っているカーボンの竿とは一味も二味も異なる。実は竿を作っていた時から、どうせ竿を使って見るなら旧盆が終わり、引きの良くなるこの時期にしようかと考えていたのである。

 続けて二枚、三枚と釣っている内に、自分よりこの釣り場に来ていたすぐ隣のベテランの釣師を意識し出した。4時過ぎに自分が着いた時には、その釣り人はすでに十五枚程の二歳を釣り上げていた。そしてその後もコツコツとコンスタントに釣り上げている。だが、自分のポイントにも魚が少しずつ集まり始めている。追いつけるか?ツイツイ生来の負けん気が沸いて来た。本当は56枚の試し釣りで竿の調子を見て帰る筈であったのだが?

 年甲斐も無く本気モードに入ってしまった。竹竿で釣る時は、カーボン竿で釣る時のような釣り方では竿を痛めるのが落ちである。この日の仕掛けは、バカを二ヒロ取っていた。従って竿が短いのでポイントに餌を投入するに、一回ずつ立ち上がって投げ入れてやらなければならなかった。風は南風で背中から吹いているが、バカが長いのでどうしても立ち上がる必要がある。一ヒロのバカだったらそのまま座っていても、投げ入れるのにそんなに苦労はないのだか?まして餌は軟らかいオキアミであるから、思い切り後ろへ餌を飛ばし、正確にポイントに投入することも出来なかった。硬めの生きたエビならこんな苦労はしなくても良いのだが、エビは高価であるし、まだ今年は売ってもいない。

 竿は魚を釣上げる度に竹本来の癖がどんどん出て来る。まだ竹質がしっかりと固まっていないからだ。15枚を越えた当たりから、今度は根の少し上の当たりから曲がり出始める。竹が若いからか?邪道ではあるが、少し焼いて硬くしようか等と考えての釣りとなる。5時半を回ると入れ食い状態となる。その都度軟らかい竿が曲がる。数釣が始まると感触など楽しんでいる余裕もない。そのうちに大きなボラがかかる。軟らかい竿は満月のようにしなり究極の曲がりを見せた。「どうせ自作だから折れても良い!」と引きに任せる。しばらく右に左に魚をあやしていたが、やがて疲れを見せおとなしくなった。どの道ボラであるからと長い道糸を手で手繰り寄せる。その時最後の抵抗を見せ沖に逃げようとした瞬間0.8のハリスはパチンと音を立てて切れた。見れば竿の状態は、癖が出るは、だらりと曲がっているはで散々である。使い始めた当初のあのきれいに矯めた竿は何処かの状態となる。

 竿を魚が釣れる度に、曲がりの反対にクルリと回しながら使う。竿が多少ダラリとはしているが、まだ竿として使える。やがて陽が落ちてコアジが釣れて来る。最後の追い込みだ。新しい餌を付けては、隣の釣り人に必死に食らい付く。やがて辺りが薄暗くなり、隣の釣り人は帰り支度を始める。だが、もう少しと薄暗い中奮闘し、三枚を追加する。隣の釣り人が来て、「何枚釣りましたか?」と訪ねて来る。「25枚です」と答える。「私は31枚でした」と云う。「久しぶりにあれだけ奮闘して6枚差?」とがっくりする。軽くて丈夫で振込みの楽なカーボン竿を使って本来の自分の釣りをしていたら、軽く逆転出来ていた筈であるのだが?

 竹竿はカーボン竿と同じような使い方は出来ない。だから数釣には絶対不向きな竿である。と云う事は、魚に優しい竿であるとも云える。今回は少々ムキになって、釣り過ぎたが、次回からはもっと楽しむ釣をしたいものだと大いに反省する。