第53話    「延べ竿で黒鯛を・・・!」   平成19年09月05日  

 限られた長さしか使えぬ道糸を使った竹の延竿で、黒鯛を釣った時の感激はそうそう味わえられるものではない。特に黒鯛の当たりを直接穂先に感じた時の、感触は釣師にとって何物にも代え難いもののひとつであると思っている。最初に穂先に小さな感触を二度、三度感じると次に自分の二間半程の竹の竿に手元からグッと強い引き込みが来る。間一髪竿を立てる。竿は折れんばかりに満月にしなる。其処から黒鯛と竹竿の一対一の戦いが始まる。竹の延竿に黒鯛を掛けた時の得も云われぬドキドキ感は、カーボン竿にリールを付けた竿とでは、全く一線を画す釣りと云って良い。が、しかし実際の釣で竹竿は持ち重りがするので長い時間釣るのは億劫で、ついついカーボン竿を多用することになる。

 竹の延竿で黒鯛を釣るには、リールでやり取りが出来ないので道糸、ハリスが十分に黒鯛の引きに耐えられるものでなければならない。ついで竿は胴調子ネバリ強く、しなやかで張りのあるものでなければならない。限られた糸の長さで黒鯛を釣ると云う難しさは、正しく釣の原点ではないかと思っている。庄内ではリールのない時代、遠くの魚を釣る為に、極端にバカを長くとると云う事をやっていた。バカが長ければ長いほど、遠くに餌を飛ばすことが出来る。しかし、竿が長くそしてバカが長ければ長いほどに釣り人にとって、目指す投入点へのコントロールに苦しむ事になる。餌を如何に遠くに飛ばすかと云う日頃の鍛錬に継ぐ鍛錬が、完全フカセ釣りの実釣には欠かす事が出来ない。バカの長さも生半可ではなく名人ともなれば竿の長さの半分以上、時には竿の倍でしかも餌のみの重さで自由にコントロールし遠くに飛ばす事が出来た。そんな人達が、庄内では一人前の釣師とされていた時代があった。並みの釣師はほんの少しの風で吹こうものなら、餌のみの重さだけでは、竿半分のバカは勿論一ヒロ、二ヒロのバカでも正確に目指すポイントに振り込む事は相当に難しい。しかし、庄内には黒鯛を釣る四間竿の長い道糸でも自在に使う、そんな神業的な釣師が沢山おったのである。

 当たりがあって竿を立て合わせるのであるが、その立てる時に糸が細い時、強く合わせ過ぎるとその瞬間に合わせ切れを起こす事がある。合わせるタイミングが遅れれば、伸されて糸が切れるし、又竿を起こすタイミングが遅れても、竿の柔軟さを十二分に利用出来ぬ為、簡単に糸切れを起こす。そこで庄内の磯釣では道糸に45号をそしてハリスは必ず3号以上と云う太ハリスを使っていた。現在の強化された糸では道糸で34号、ハリスは2号でも十分に持ち堪えるだろうと思われる。

 カーボンの竿では、多少太い糸(道糸2~2.5号、ハリス1.5~1.7)を使っていればリールで糸の出具合を調整し、竿を立て後はじっと耐えていれば大抵の魚が自然に浮いて来る。そして海底の障害物にでも潜り込まれさえせねば、誰にでも釣り上げる可能性のある釣である。しかし、竹の延べ竿となるとそうは簡単にいかない。バカが相当に長い事もあるが、竹竿の強度ギリギリの剛性を十二分に使って魚との戦いをしなければならない。大型の黒鯛ともなれば取り込みは時間にして、掛けてから三、四十分はゆうにかかる。何とか逃げ切ろうとする黒鯛との戦いの駆け引きにも相当な熟練が要求される。それはそのまま、釣の難しさ、楽しさに繋がっている。引きの強い黒鯛を騙し騙しながら、いなして行くと、手元のやや先から満月に曲がっていた竹竿は自然と起きて来る。そしてややしばらくして魚は力尽きて浮いて来る。その時が、取り込みの時期となる。しかし、磯場での取り込みはバカが長い事もあって、すぐ側に人がいれば良いが、自分ひとりだと大いに苦労する。そんな取り込みも、一人で出来るようになって、やっと一人前の釣師として認められていた。

 竹竿で獲った一枚とカーボンで獲った黒鯛の一枚を比較する事は中々難しいが、釣り上げたと云う実感は前者に多くある。竹竿での釣りは難しいから、逆に面白いと云う遊釣の真髄を鑑みれば当然の帰結となるであろう。釣師はいくら釣ったとしても漁師にはなれぬ。漁師は魚を獲らなければ生活が成り立たないから、楽しいとか面白いとか思っている余裕などは無い。魚を多く獲りたければ、いっそ釣師を辞めて、漁師になれば良い。人それぞれに感じ方が違うかも知れないが、価値のある一枚を手にした時に、真に無上の喜びを感ずるのが、真の釣師の釣師たる所以である。どうせ釣るなら、数は少なくとも楽しめる釣をしたいものだと思っているのだが・・・?