第54話    「俺の釣は殿様の釣!」   平成19年09月015日  

 今年も盆が過ぎそろそろと思っていたら、本港の漁連タンク前で自称殿様の釣りの御仁が現われた。

 相変わらず鼻っ柱だけは強い。つい最近も鶴岡で温海のおけさ会の連中が、「毎年黒鯛の稚魚の放流を行っているのだから、小さなのは釣らないで欲しい」と云うから「何バカなことを云ってるんだ。お前たちが腹に子を抱いている親を春先から釣らなければ減ることもないんだ。殿様の時代から、春は釣らずに子を成させ秋になって始めて釣ったものだ。第一秋のシノコダイ釣りと云うのは昔からの庄内の釣り文化だぞ!」と云ってやったら「奴等ぐうの根も出ねえの!」とうそぶく。

 彼の云わんとしている事にも、一理ある。年を取れば若い時のように磯の岩場での釣りも中々出来なくなる。防波堤の大物が潜む危険な大きなテトラの先端での釣りも容易には出来ない。第一重い荷物を持って、釣り場までの長い距離を歩くのは大変だ。年寄りたちは安全で足場の良い波止や護岸辺りで、二、三歳ものを釣るのを楽しみにしている。昔は当歳物を囲炉裏の火に当てた後日陰に乾し、カラカラにしそれを正月のご馳走にした。そして余分なものがあれば、それを現金に換えている。それが長年続く庄内の釣り文化の一つであった。それが何時の頃からか、春からの黒鯛釣りが始まった。

 春に親を釣り、秋に子供である当歳魚を釣ったのでは黒鯛が激減するのは当たり前である。今まで良く持って来たものだと感心する。同じ大きさの黒鯛を釣っても秋の黒鯛は引きが違う。いくら昔でも春から釣った者もいたが、周りの釣り人から異端視されるは、黒鯛の釣った数には入れては貰えなかったし、仲間はずれ同様な扱いを受けた。だから釣ったときに恥ずべき行為として、公言をはばかった物である。今を時めく渚釣りだって、昔は浜釣りと云った。その浜釣りは、釣り方の為の一般的な釣法として認められていたものではなく、磯で釣る為の初心者の為の練習の一つでしかなかった。その為浜釣り(渚釣り)で釣れた黒鯛は、釣った数に入らなかったのである。

 そんな厳しい暗黙の了解があって庄内の釣り文化が成立っていたのである。現在はどんな釣り方であっても、魚は魚一匹、一枚として数えて貰える。良い時代になったものだ。魚を増やしてから、釣るのではなく、数を減らして尚且つ貴重な魚を如何にして釣るかと云う時代に入った。特定の個人や団体の人たちが、懸命に個人献金して稚魚を自然に戻したとしてもそれははかない抵抗でしかない。

 自然の営みは毎年の暑さ寒さが自然に循環している。その中で魚が増える年、減って行く年が出て来る。人間は自然の営みに逆らって、遊釣と云う遊びで数を減らしている。

 殿様の釣師は、必ず二間〜二間半(3.94.5m)の軟らかい延べ竿に必ず生きたエビを使用する。深さによってバカは1.5〜2ヒロ以上とり、鉤から1520cmの場所にガンダマ23Bをセットする。釣り場に着くと、チヌパワーにコアミを混ぜて、ダンゴを10個ほど作り最初に足元に5個ほど投げ入れる。しっかりと握ったチヌパワー+コアミのダンゴの威力は大したものでこのコマセは通常4060分くらいの効き目がある。彼が来るととたんに周囲は釣れなくなる。

 彼の釣りは、確かに延べ竿で釣ってはいるが、殿様の釣ではない。子供時代から続く単なる延べ竿の釣りである。彼の釣っている数は確かに人より多いが、殿様の釣りだと胸を張って威張れる釣では決してない。以前の彼の撒き餌はチヌパワーを練ったものであった。それだけで結構釣上げていた。現在水底に堅く握ったチヌパワーアミエビ入りのダンゴスペシャルを沈めることで、魚を長く足元に付かせている。フカセによるダンゴ釣りと延べ竿の釣りの変形の釣りだ。そんな釣りでも、彼氏は今までどおり殿様の釣りと思っている幸せな人である。