第59話    「最近のダンゴ釣事情」   平成19年11月05日  

  この所、団子釣が釣れるという評判が、評判を呼び大勢の団子釣師が増えて来た。特に毎日釣りに来るお年寄りたちの団子は、シンプルで安価な団子が多い。そうでなければ。週末を除き毎日の様に釣三昧等出来る訳が無い。シンプルな団子は、日曜釣師の豪華な団子には太刀打ち出来ないから、大勢の人込みの中で釣るのは嫌と云う人が多い。そんな中でも少ない年金から排出されるお小遣いの全てを釣に投資している人も少なからず居る。しかし、大半はほとんどヌカベースの安価な団子が多い。餌代にお金がかかるので、そうせざるを得ないのだ。それでも魚は釣れない事も無い。

 毎日のように来ているので、お互いに情報交換をして何時何処で釣れてるか分かっている。確かに釣れる数は少ないかも知れないが、一度釣れれば、昔取った杵づかで滅多に肴を外す事は無い。暇な時間を好きな趣味で過ごす事の出来る団子釣りは、お年寄り達には持って来いの優雅なひと時である。

 彼らの団子は殆どがヌカと砂で7:3位の比率である。それにお金に余裕があればチヌパワー、細引きサナギを混ぜる位で半日(34時間)を大抵500円以内で収めている。発想の転換で、餌代を自家製で作れば団子の中身を豪勢な物に出来るのだが、其処まで思いつく人は少ない。しかし、彼らの釣は余生を楽しむ自己満足の釣であるから、それで良しとして良いのではないだろうか。

 ところで最近退職したての人たちは、結構お金を掛けた釣をしている。とは云っても、毎日のように来る為に、日曜釣師の半分以下で10001500円くらいのものなのだが。それでも団子の中身は、ぐ~んとグレードアップしている。しかし豪華とは云え釣れる数は一般のお年寄りと比べて倍以上と云う事はまずない。自然に任せて釣れる時は釣れるし、釣れない時は釣れないと過ごしているお年寄りの釣は健康的な釣りなのかも知れない。釣って何ぼのプロの釣見たいに、何が何でも釣ってやろうと云う釣は、ストレスが溜まる釣である。自然に身を委ねてゆったりと釣る事が、遊釣の真髄である。

 釣は、ただただお金を掛ければ釣れると云う物ではない。釣れる時は釣れる。釣れない時は釣れない。人間は到底自然に逆らうことは出来ない。自分に出来る事それ以上は、自然に任せ当たりが来るのを自然に待つ。これは自分流の釣哲学の極意の一つである。