第60話    「大山の半漁師の釣師達」   平成19年11月16日  

 以前庄内藩の下級たちは、晩秋になるとシノコダイ(篠野小鯛=黒鯛の当歳魚)、クロコ(メジナの当歳魚等を盛んに釣って火に当てた後、乾燥させて越冬用の食料の一部としていた。そして余分な物は売って生活費の足しにしていたと書いた。

 明治、大正期辺りになると、主に大山から加茂辺りの人たちが、生活費の一部としてその釣をするようになる。渡りが始まるとシノコダイを一日に1000匹も釣る人も居たと云うから、もう完全に遊びの釣ではない。生活の掛かった釣である。その様子が鴎涯戯画「磯釣り」第7677図に次のように描かれている。「・・・大山糟塚辺りの人は篠小鯛などの釣れ始めを見ると、乱暴に割り込み後から頭を台がけにして見たり、ボンギリ竿を人の竿の上に重ねて投げたり、無礼極るもの、羞心の無い奴許りなのかと問えば、多平治君曰く、加茂・大山では篠小鯛のような一盛渡って来る魚を生活費の一部に計算していたので、時を失えば生業が成り立たぬ必死の仕事だから、遊び慰めの人々を遂たてて、沢山の小蝦を蒔き空かますに馬乗りして、秘術を尽くして釣る。上首尾の時は1000匹も釣る。これは命の綱だ・・・」と。

 毎年シノコダイが釣れ始まると、毎日の様に磯に出向いて釣る。その乱暴な釣り方は、釣師たちのヒンシュクを買っているが、そんな事はお構いなしの釣をしていた。釣れている場所へは割り込みは当然、後ろから頭の上、横からの竿出し等何でもありの状態であったと云う。前で釣りをしている人の頭に竿を載せて釣る者さえ現れたと鴎涯の戯画集に書いてある。終いには、自分が釣りたいが為に、釣り人を追い出す事さえあったらしい。こうなれば、釣りは生業の釣で、楽しみの釣とは云えない物になっている。

 このように一部の人達ではあったが、日長一日のんびりと竿を垂れる遊び釣りの輩とは一線を画す釣が横行していた。残念ながら、今日でもそれ程ではないにしろそれに近い釣をする者が少なからず居るように見かける。空き間が有っても自分の釣り位置の近くには絶対に寄せ付けないぞと自分の周囲にワザと荷物を広げ頑なに拒否の姿勢をありありと見せている者や人が釣れ始めると狭い釣り場に割って入り込んで来る者など今昔も変わらない。そんな時近くに常連の釣り人が居れば、皆でその釣り人をたしなめたものであったが、今日ではそんなことをしようものなら逆切れし、何をするか分からない者も少なくない。こうなれば釣も命がけだ。

 今の所一部の釣り人でしかないが、残念ながらそんな釣り人が、少しづつ増えているように思える。そんな人達の多くはマナーは悪いし、要らぬ魚、ゴミは周りに捨てて行く、鈎の付いたままの仕掛けも当然のように足元に放りっぱなしで帰る。主な釣り場を何日か回ってゴミ拾いすれば、すぐに一、二回分の釣の仕掛けの道具等は直ぐに揃ってしてしまう。あゝ、勿体無い!捨てる人あれば、拾う人もいる。