第61話    「庄内の釣・晩秋の高波に注意」   平成19年11月25日 

 久しぶりに土屋鴎涯の「庄内の釣・時の運」を読んで見た。この本は当時酒田で釣具屋を営んでいた本間祐介氏に頼まれた土屋鴎涯が昭和8年2月、酒田の正徳寺と云う寺に寄宿していた厳寒の時期に描かれたものである。当時土屋鴎涯は長らく勤務していた鶴岡の裁判所を退官後、酒田の本間家の営んでいた本立銀行に勤務し、主に耕地整理等の業務を行なっていた。本名を土屋親秀と云い、戯画を好み自ら鳥羽絵風と称する絵を描いていた人物である。本の内容は釣りを良くする事から、明治、大正、昭和初期の当時の庄内磯の釣り様子、エピソード等が良く分かる資料となっており、当時の釣り事情を知る上での第一級の資料となっている。

 
「お前様方、そんなざまでは、
 磯釣り やめれ やめれ!・・・・
 一寸と見て岩が黒く濡れている所は、決して釣らぬものだ。
 男浪、女浪 三七・二十一浪目には、大きな奴が来るから、
 ほろけ野郎は時々左右から来る浪にさらはれ、
 さっさと逃げれ 逃げれ・・・・」

 これは「庄内の釣・時の運」の第三十九図である。釣道具は浪、風に浚われぬ様に紐などをつけて安全な場所に置くが良い。岩が黒く濡れている所は、時々浪が来る場所で海苔がついて滑りやすい場所でもあるし決して乗らぬこと。岩渡りする時はベテランの人が通った場所は岩の色が少し変わっているので、其処を選んで通ったが良い。またこの時期の岩渡りは、危険なので良く先輩の云う事を聞いて置くべきだ。

 これからの晩秋の磯釣は常に危険との戦いになる。ベテラン釣師ともなると経験的にこのような危険の予知をしながら釣をしている。この図では三七・二十一浪目としているが、この他30分に一度、1時間に一度の大波も来る事がある。だから岩が濡れている場所や海苔がついている場所は敬遠した方が良いと云う事実を教えている。何でも良いからとにかく釣りたいを優先し、ついつい釣りの安全を無視する釣師たちが少なくない。命があれば釣りは出来るが、命を捨てては釣りが出来ない。

 以前10万円と云う高価な竿を浪に浚われ、自ら危険を顧みず荒海に飛び込んだ若者がいた。その日は晴天だったが、風強く浪が相当に荒れていた。竿は稼げば買えるが、命はたった一つの命であって買うに買えない代物である。近くの釣り人がクーラーを投げ入れたり助けようとしたが、それも空しく波間に消えて行ったそうである。通報を受けた最寄の警察、近くの消防団等が集まったものの、救助しようとしてもその日は船の出しようも無い荒波の磯場で皆唯ゝ見守るしかなかった

 万一海中に落ちても、静穏な海の時と異なり助けようにも助けられない。無理に船を出せば、第二の遭難を招きかねない。自己責任と云うだけでは済まない状況となってしまうのだ。山が好きだから、山で死ねたら本望だ。釣が好きだから海で死んだら本望だ。ではいけないのである。関係する周りの人達にどれだけの苦労をかけるかを考えて、死んで貰いたい物だ。