第64話    「釣り時、釣れ時」   平成19年12月31日  

 昨年10月中旬(平成18年)を過ぎた頃、急に魚が釣れなくなったと云う事がある。そんな時未熟な自分は「運が悪い」、「今年の異常気象が影響しているのか?」、「例年の今頃はまだ本港の奥でも、釣れているのに!」と思ったりする。「スランプなのか?」と自問自答とも考える。釣れなくなっているのは、決して自分だけではないようだが、しかし、釣れない原因を、安易に異常気象や運のせいにしてはならない。そんな時でも必ず釣れている人は必ずいるものだから・・・・。いくら撒餌をしようが、魚に喰い気の無い状態ではどんな名人でも釣る事が難しいものだ。ところがそんな時でもある状況を境にして、素人でもいとも簡単に釣れる事がある。要は釣れる日の釣れる時に、釣り行けば必ず釣れるものだ。

 釣れる条件とは前日に上流で大雨が降り釣り場まで適度な濁りが流れて来た時とか、前日まで大荒れだったが、釣行日になって急に静凪になった等がそれに当たる。大抵海水に適度な濁りさえあれば、その翌々日なども魚が釣れるものだ。しかし、ただ濁っていれば、釣れると云うものではない。ただこの濁りにも色々あって、特にプランクトンの増殖(所謂死に水)による濁りでは、魚は絶対に餌に食いついてくれない。

 それ以外に釣場の状況が一変して急に釣れ始めると云う事もある。水が澄んでいる釣場に、急に風が吹いて来て、風波が立ちそして底が見えぬ状態となる。釣りをたしなんでいる人ならば、そんな時急に魚の喰いが活発となったと云う経験を何度も持っているではないかと思う。

 干満の差が少ない日本海側と異なり、太平洋側の潮の干満の差は魚の食い気に大きな影響をもたらしている。昔から太平洋側の釣り人は「潮の上げ、下げ7分と3分」が釣れる時間帯としている。ところが日本海側では、日によって異なるが干満の差がせいぜい30~40cm程度のもので、さほど気にならない。もっとも最近の釣り人の間では、情報の過多の関係もあり、異常に反応する風潮がある。少なくとも庄内の昔の釣り人は潮の干満よりも、北風や北西風の風により起きる波と潮それと濁りに注目する傾向が強い。日和りは、勿論晴れよりは曇りの日が絶対に良い。

 ただ一般に釣れる日と思える日でも、釣り場に出て見ると現実にはさっぱり釣れないと云う日もある。現実には様々な条件が、複合し合わさって始めて釣れると云う条件が成り立つから釣りは奥が深くて面白いの。どんな条件が、揃えば釣れるのかは、数多くの実釣を重ね自らの体験で覚えるしかない。そこでこんな日は何処で釣れたのか、条件を思い巡らして、次回の釣行時にはその事を頭に入れ綿密に計画し、それが実際に当たった時はすこぶる気分が良いものである。

 しかし、大抵の日曜釣師は、日並の事まで考えての釣りは中々出来ない。天気図を見るか、釣に出かけて見てこんな日だったら、何処が良いであろうかと云う様な場所の選定が関の山となる。一般的には新聞や釣具屋からの少し遅れた情報を集めるしかない。その情報も100%信頼の置ける情報かは分からないから自分なりに解釈するしかない。だから話半分として、何処辺りで釣れているらしいので、同じような条件で何処にすると云うような決断も必要となる事もある。ただ云える事は人の尻だけを追いかけても、中々目指す魚は釣れるものではない。だから隅から隅まで知り尽くした自分のHGを持たなければならない。いつも通い馴れた親しんでいる数箇所のHGを持てば、どんな時期にどんな条件だったら何処で魚が釣れるかが分かっているから鬼に金棒となる。

 釣れる時、又釣れた時の状況をしっかりと頭に叩き込んでおく事が尤も大事である。これが釣りの基本である。逆にどんな条件だったら、絶対に釣れぬという事も知っておけば良いではないだろうか?

 自分では、ある程度分かっている積りでも二、三回続けてのボーズがある。その反面絶対に釣れる時にしか釣をやらない名人と云う人がいる。だから実績はほぼ100%に近い釣果を誇る。それでも絶対に100%釣れたと云う事は、無いのだから、釣と云うものは面白いと云えるのではないか?