第66話    土屋鴎涯「垂綸極意猫之巻」」   平成20年01月31日  

 鴎涯六十年の人生で得た釣りの極意の全てを得意の鳥羽絵風の戯画で子々孫々に伝えようとしたのが、「垂綸極意猫之巻」である。これは釣りをした長男親民、四男允それに始めた親一の為にと大正139月酒田の正徳寺に寄宿していた当時に書いたものである。その内容と云えば、自分が釣りで得た極意と当時の釣りの名人たちから得た釣りの極意なるものを集大成し書かれたものである。


 子孫の言い伝えに寄れば、他人に見せてはならぬとの遺言があったとかで、土屋鷗涯の釣りに対する絶対の自信が伺える一冊である。惜しむらくは、旧仮名使いの上、筆字で自分流に崩している為に、馴れない自分にとっては中々難解である事が障害になっている。ただ、この本を通して大正時代の釣りがどのような物であったかと云う事が分かる貴重な一冊であることは、確かである。その序文に何で「猫の巻」としたかの経緯が書かれている。このような釣りの極意なるものは、通常「虎の巻」とするのが常道であるが、一つへりくだって、土屋鷗涯は「猫の巻」としたのだと云っている。

 第一図に釣竿・具道具選びの事、第二図てぐすの結び方・蝦餌の選び方、第三図ご蝦飼い置き・釣り場選びの秘訣、第四図岩場・高波・釣気の心得・・・・と続く。面白いと思ったのは第六図の餌付の秘訣二十ヶ条である。当時の餌について窺い知る事が出来る。夜釣りのタイ釣りにはアワビを用いている。真餌(マエ=岩虫)タイだけでなく、シンジョウ釣りにも良い。次にエビの色々な付け方へと続く。釣る魚の種類、状況で餌の付け方が異なるので、その極意を書いている。この本を見て感じることは、総じて土屋鷗涯の釣りはタイ、クロダイのみならずその時々に釣れるものなら何でも釣ると云ったスタイルの釣りようである。

 特に注目したいのは第四十図浜釣り(渚釣り→昭和50年代の始め、温海の釣り師たち=おけさ会から始まったと云われている=「渚のクロダイ釣り」で全国に知れ渡る)の場所選びの事である。筆者の調べでは、そのずっと昭和の初めごろに湯野浜の長磯付近で行われていた事が、竿師山内善作の著書により確認出来た。ところが、その浜釣りについて、土屋鷗涯も書いているのである。大荒凪(大荒れ)の時に海底の砂が巻かれ釣れることは見込めない。大抵静凪の時で程々の波があり、磯釣りの時も危険でない時は終日釣れるとある。篠子鯛(黒鯛の当歳魚~二歳)なら、十里塚、宮野浦あたりの砂の粗めの場所、磯ならば長磯下の砂、小石原・・・とある。土屋鷗涯は、篠子鯛としか書いてはいない物の、いずれの場所も波の具合によっては、大型の黒鯛も釣れている場所である。これで浜釣りが大正時代にまで、遡ってもおかしくはない事が判明した事になる。