第67話    竹竿には、胡桃油」   平成20年02月15日  
 もう40数年にもなるか、鶴岡市の大山に成田市太郎と云う釣りの名人がいた。この人は加茂から湯野浜にかけての釣りをし、生涯竹竿を使い続けたと云う人物である。昭和10年辺りから40年代にかけて主に二厘(2)のハリスを使い多くのクロダイ、コウダイ、スズキ釣り上げている。大山、加茂、湯野浜にかけては誰知らぬ人ぞない程の名人であったと伝え聞く人である。当時の二厘のハリスは現在の二号ハリスとなっているが、現在のカーボンハリスとは比べものにならないくらいの弱い物である。そんな弱いハリスを使用して数多くのクロダイ、スズキを釣り上げていたのは、やはり名人としか云いようがない。

 この人は竹の延竿(三本継)の釣りを行っていたようだが、戦後は主に庄内中通し竿に切り替えている。理由は簡単で延べ竿より細ハリスで、より大きな魚をゲット出来たからである。ところで竹竿は手入れが欠かせない。庄内の竹竿を使う釣り人達は雨の日を極端に嫌う。携帯に便利な継竿では尚の事嫌う。ご存知のように庄内竿の継竿は、螺旋式心中パイプを使用している。このパイプは海水や雨の日に竹と竹を繋ぐ管の部分から中に水が入って濡れると、時として竿の部分が抜けなくなる事があるからである。無理すれば竿が壊れる原因ともなりかねない。これを防ぐ方法として、使用前と使用後にクルミ油で竿を丁寧に拭いて置くとしている。胡桃の油は、竿に沁み込んで、竿の螺旋部分に潤滑油の役目をする。其の上全体に塗布しておけば竿自体に光沢が出て来るし、竿は長持ちする。

 鶴岡在住の酒井家17代故酒井忠明氏等も釣竿の手入れ時には、必ず胡桃の油を用いているとある雑誌の対談の中で述べていた。煤で燻した庄内竿には、クルミ油で吹上げると色艶が一層増し、光沢が違うと云われている。誰から聞いたかは忘れたが、同じ植物性の油でも何故かツバキ油では、いけないのだと云われた記憶がある。しかし、その理由については使ったことがないので、自分には分からない。

 竿を矯める時、矯め直しする時は、これまた植物性の和ロウソク(櫨の実)を使用するのが庄内の常識である。戦前の古い和ロウソクほど、櫨の実を多く使っているので良いようだ。植物には植物性のものを使用するのが一番良い。庄内竿は、他の地方の竿と異なり非常に長持ちする。実用で100年以上の竿等は他に類を見ない。それでも手入れしない竿は、十数年で竿が死んでしまう。そんな竿は穂先が壁や柱などに軽く当たっただけで、簡単に折れてしまう事がある。

 布巾(ふきん)に和クルミから絞った油を塗布し、丁寧に竿を磨いていくと竿に光沢が増す。竹は植物だから植物性の油が適しているようだ。庄内竿には、他の竿の生産地と異なり、竿を削らず、漆を使わない。木を燃やし、その煙で燻し、煤の脂(ヤニ)のみで飴色にする習慣がある。その飴色が更に光沢を増すのだから、得も云われぬ奥深い色に仕上がる。が、竿は眺めるだけの鑑賞品ではない。実用品としての竿でなければならぬのだから、胡桃を塗布すると云う事は手入れの一環としての一つの工程に過ぎない。結果として、奥深い漆色の光沢や根の形、芽取りの削り具合などが相まって一つの芸術品として鑑賞出来得るのだ。

 尤も、現存する鑑賞に耐え得るような名竿などはそんなに多くはないが、それだけに手入れの行き届いた名品に出合った時の感慨は一塩である。殊に自分好みの釣竿に出合った時などは5分いや10分が、ほんの一瞬に感じられることがしばしばである。