第68話    日本沈没と環境破壊」   平成20年02月29日  
 34年ほど前に東宝から小松左京原作のベストセラー「日本沈没」の映画化がなされたが、当時地質学者達からはその設定には大分無理があるとの意見が寄せられた。それでも日本が沈むと云う設定は当時の人々には大反響があり大いに世論を沸かした。1912年ドイツのアドルフ・ウェゲナーが提唱した大陸移動説が見直され、1960年代に最新のプレートテクトニクス理論によって生き返った。話の大筋は、小松左京は最新のプレートテクトニクス理論を拡大解釈したもので、日本列島を取り囲む地殻の変動により日本の大部分が消えてしまうと云うもの物語であった。そして一昨年映画はリメイクされ同じ東宝から、放映された。最近の世界情勢からみれば何も沈没は地殻の変動だけではない。人間によって地球の温暖化が引き起こされ一つの国が地球上から半永久的に消えてしまうと云う大問題が、二十一世紀に現実に起きようとしている。昨年(2007)8月30日太平洋の島国キリバス共和国のアノテ・トン大統領(55)は読売新聞社の記者と会見し、「我が国は早晩、海に沈むだろう」と明言したと云う。

 このような国は何もキリバスだけではない。赤道近くの標高のない環礁で作られた島々からなる国々の大半と海岸に面し極めて標高の低い場所(バングラデシュのガンジス川河口の低湿地帯等)が、早晩同じ運命を辿る事になると考えられている。人間のエゴが地球の環境を破壊している結果である。そう云えば子供の頃から見ると海水面の水位は何cmか上がっていてるかに感じている。防波堤の一部が30年ほど前は確実に水面15cmくらいにあったものが、近頃何時行っても海面スレスレの状態か隠れてしまっているのである。コンクリートの重みでそうなったのかは分らないが、そんな場所が何箇所もとなると、海面上昇は現実味を帯びて来ると謂わざるを得ない。

 環境破壊は、何も炭酸ガスの排出による地球温暖化だけではない。極々身近にもある。それはゴミの問題である。大きな目で見れば、人間は文化生活を営む上で、一方大量のゴミを生産している。何年経っても自然に帰らないゴミを大量に生産している。昔ならば、その殆どは、腐って元の自然界へと循環していた。現在石油化学製品のお陰で人間は文化生活を営んでいるが、使えなくなったものは捨てられてゴミとなる。そしてそれらの大半が放置されれば自然界へ戻ることはまずないと云って良い。人間の出すゴミは、大半は焼却される。そこで一酸化炭素が生ずる。残りが、自然界へそのまま放置されている。どちらにしても自然を破壊している事になる。

 釣り場のゴミ、港や海岸にある漁業関係者よって放置されたゴミそれらは莫大な量となっている。魚がいなくなるのも当然である。魚の捕り過ぎ、釣り過ぎ等も問題であるが、ゴミの放置は、問題となっている。家にもって帰れば釣り場も港も防波堤も海岸もそして海底も全てきれいになり、魚の住める環境が整う。子供の頃、「消費は美徳なり」と聞かされた。何故なら消費によって経済が発展するからである。そして消費大国アメリカに憧れた。そして今、その考え方は間違いだったと知らされた。

 全て生物の頂点に立っている人間様の仕業である。草の根の運動でも良い。一人一人がコツコツとやっていけば今からでも間に合う。国や県や市がやってくれる事ではない。時々朝から釣り場を一周するのだが、釣り場が余りにも汚れていると大きなゴミの掃除をして来る。だが、23日もすると元のように汚れている。車を止めていると見ている時にも風でビニール袋が飛ばされ、波のまにまに漂っている。まったく情けないの一語に尽きる

 自分のゴミは自分で持ち帰る人、釣り場をきれいにして帰る釣り人もいるが、全く追いつけない状態が続いている。近くにゴミを捨てないようにと云う看板があって、一人一人の良心に訴えているが、全く意味がない状態である。こんな事ではいずれ釣り場は出入り禁止、ひいては全て釣りの禁止となるのを待つしかない状況になる。そんな時大騒ぎするのは決まってゴミを平気で捨て行く自己主張の強い人達が多い。自己主張をするには、それに対してするべきものはチキンとせねばならぬ。身勝手な主張は許されない。「なあ~に、俺一人くらい!」と云う気持ちが、地球を駄目にしている事をよ〜く考えたいものだ。