第70話    庄内中通し竿」   平成20年03月31日  

 中通竿の良い点は、大物が釣れた時に威力を発揮する。道糸をピンと張って、一対一の同軸リールから糸を出し入れが出来る事である。即ち素早く魚の動きに対応し、竿の弱点や糸ノ弱さをカバー出きる事にあった。それは取りも直さず、庄内のクロダイ釣りの大衆化に拍車を掛ける事になった。

 そんな中通竿は終戦後、ニガタケの継竿にピアノ線で穴を刳り抜きし作られた。その竿は当時の弱い道糸やハリスを十分にカバーし、ベテラン勢はより大きなクロダイを上げ、初心者でもそれなりの型を上げる事が出来る物であつた。庄内の釣りの一大革新と呼べる物である。庄内竿は元々述べ竿から出発している。それが交通の便から、携帯性を要求されて一本の竹で作られた竿を敢えて継竿にしたものである。その為に昭和30年代の頃まで、継竿は庄内竿とは呼べないと云う、釣り師が大勢残っていた。

 そんな事で大勢の庄内の釣り師に中通竿が普及してから、初めて継竿が庄内竿の範疇に認められたと云う経緯がある。それでも中通竿に至っては現在でも庄内竿とは呼ばず、敢えて庄内中通竿または中通竿と呼んでいる。全国的には庄内竿=中通し竿と思われ勝ちであるが、事実は一本の竹で作られた延べ竿が庄内竿なのである。中通し竿は亜流の物と思われていた。しかし、竿師の方は、良い竿には絶対に穴を刳りぬいて中通竿にはしていない。ただ当時流行った中通しの魅力には勝てず多くの釣り師たちが、釣りたいが為に手持ちの名竿にピアノ線で穴を刳り抜いて作り変えられた竿が多かったように聞いている。竿師の方々で中通しにして販売した物の多くは、竿としては二流品の竿が多い。そんな竿でも、大型のクロダイが、結構上がっていたのである。

 長さ4.5~5.4mの長さ、元径で10~13ミリ足らずの極めて細い竿で、大型のクロダイが上がったのだから、当時としては、画期的な竿である。全国的に見てこんな竹竿は、見当たる事はない。時化た時のクロダイやスズキを狙うには6.3~7.2mの竿を必要としたが、通常は5.4m前後の竿で充分であった。柔軟で尚且つ柔軟性に富みクロダイを釣る為に作られた竿なのであるが、庄内竿の欠点として、非常に肉厚である事が災いして、結構重い事である。だから、長時間竿を振っていると腕が痛くなることもしばしばである。

 庄内竿の良い所は、使って見た事のない人には、分らないかも知れぬが、魚が勝手に釣れて来るところにある。それにカーボン竿やグラスの竿では感じられない当たりが手に取るように伝わってくる。そして穂先が海中に一気に絞り込まれる。そこで素早くアワセを入れて竿を45度に立てる。後は竿と糸の強さを計算に入れ、竿の弾力を十分に使えば魚は勝手に浮いて来る。実際にはそれなりの技術を必要とされるが・・・・。ところが、自分たちが買えるような二流品の竿を使用した場合、そう簡単には魚は浮いて来ない。そこで中通竿が必要となって来ると云う次第である。一流の名人たちはより大きなクロダイを目指し、自分たちはそれなりのクロダイを釣る為により実用的な中通竿を使ったものである。


沼津竿

 何故か中通し竿の発想は、全国的に見て庄内と沼津にしかない。先日東京の釣り具資料館で小継の沼津竿なるものを拝見して来たが、割と細身で元は布袋竹か真竹を使い、その上はメダケ(ヤダケ、篠竹?)を使っている。竹皮を剥ぎそしてその上に漆を掛け、10本程の並継で作られたものである。関東で多く見られる竹製の本流、ヤマメ竿の系統のような感じがしなしでもない。竿の太さにしては、中を刳り抜いてあるから持ち重りのする物ではないとの感がある。しかし、多くの渓流竿に見られるように一本一本の継は短い。その為に元径はどうしても太くなるのは仕方のない事なのかも知れない。