第71話    釣り資料館・中通竿」   平成20年04月15日  

 34日新宿の週刊釣りニュース(新宿区愛住町18-7)の釣り文化資料館を見学した。その前日、日本フィッシング会館の釣り文化資料館へ行って見たのだったが、生憎と二階の和竿の展示場が改装中で見学出来ないと云う。そこで一階の係員に遠くから来たので散らかっていても良いので何とか見学出来ないものかと頼んで見たのだが、肝心の二階の係員はちらかったおり見せる事は出来ぬと云う。ここには以前、庄内竿が、あると聞いていたので、誰の作かぜひ見たいと思っていたのでわざわざ来たのである。一階の係りの人に新宿の週刊釣りニュース社の釣り文化資料館には和竿の展示が多いと聞き、見学する気になったのである。

 週刊釣りニュース社は新宿御苑の裏手にあった。新宿御苑付近は40年振りに訪れたお上りさんの私にとって地下鉄の連絡網がさっぱり分からない。そこで中央線の市ヶ谷で降りてタクシーを飛ばす事にした。歩けば難なく行ける距離であったのだが、タクシーに乗ると一方通行の関係で少々遠回りになる。それでも何とか週刊釣りニュース社に辿り着く事が出来た。

 期待に胸を膨らませ早速中に入ると関東中心の和竿が沢山陳列されている。数にして数百本が陳列用のケースに入っている。そしてその殆どが、作者名が書いてあり、下に寄贈氏名が書き込まれている物ばかりだ。数の多さに圧倒される。が、しかし庄内のものはない。関東の物ばかりである。せっかく此処まで来たのにと思っているとかろうじて、江戸末期に庄内の釣りについて陶山槁木(=陶山七平儀信)が書いた「垂釣筌」(酒田市・本間美術館刊)と昭和10年頃に土屋鴎涯が明治、大正の庄内釣りを描いた鳥羽絵風の「庄内釣り・時の運」(酒田市・本間美術館刊)、それに昭和60年代に竿師根上吾郎の書いた「随想・庄内竿」(自費出版)の三冊が書棚に置かれてあった。

 庄内竿とは、庄内で独自に発展した地竿である。一地方にあってクロダイを釣る為の竿として発達した独特の延べ竿である。その亜流として終戦後に作られたのが、中通し竿であった。庄内竿=中通竿であるかのように良く釣りの本や雑誌などに取り上げられた為に、中通竿=庄内竿となってしまっている。庄内に住む者にとっては、残念でならない。それでも、その亜流の中通竿が改良されて今のインナーの竿として全国に普及したことを思えば、それも一つの発展型と思いたい。

 中通竿と云えば、関東にはキス竿やハゼ竿等の小物釣り用の竿が存在している。決してクロダイを釣り様な竿ではない。関東には海釣りに使ったとされる竿がある。それが沼津竿である。竿茂の中通竿が陳列されていた。噂には聞いていたが、見るのは初めてだ。以前グラス竿で改良の仕方がある雑誌で紹介されていたが、庄内の改良グラス竿の作り方とは少し違っていたとの記憶がある。陳列されていたその竿は思ったより小継で手元が太いものである。渓流竿の延長のような気がした。庄内竿のように一本の竹で作られたものではない。庄内竿では飽くまで手元までが細身で元々が一本の竹で作られているから、全体の調子がすこぶる良い。ただ欠点が肉厚の為重量がある。長いものは片手で持つ訳にはいかない。小物釣り用の一間ぐらいの竿から、四間余りのものまである。延べの庄内竿で明治16年一尺九寸五分の石鯛を上げた酒井家15代藩主酒井忠宝の魚拓も存在するほどの剛竿も存在する。その無名の剛竿は魚拓と共に現在鶴岡の致道博物館に展示されているが、中通し竿に改良された竿ではそのような剛竿でなくとも、上げたと云う話はあった。

 関東の釣り竿で最近石鯛を釣る為の和竿がある。それは男性的なゴツイ竿である。庄内竿を見た人は分かると思うが、女性的な優美な弧を描く一見こんな竿で大物など釣れるのかと思うような竿である。思えば学生時代(昭和三十年代中)に、二間半の庄内竿を持って上京した時は、釣友に笑われたものである。関東の人には、こんなぺナぺナ竿でクロダイなど釣れる訳がないと思ったようだ。釣れた時の独特の粘りが理解出来なかったに相違ない。

 沼津竿に触れて見たかったのだが、陳列ケースに保管されていてはそれもかなわずじっと観察する事で我慢するしかなかった。現在その沼津竿は、作る作者がいないようだ。庄内も作る人が減っていずれはなくなる運命である。なんとかそんな地竿を残したいと思う今日この頃である。