第73話    大八木式真鍮パイプ継 U」   平成20年05月15日  

 最近加茂の水族館長が、大正末期から、昭和の初め頃に作られたであろうと思われる大八木式真鍮パイプ継の二間程の二本継の小竿を持っていた事を思い出した。何故時代が想像出来るかと云えば、昭和の初めの頃に竿師山内善作が、大八木式真鍮パイプ継より簡単でより強固な螺旋式真鍮パイプ継を考案したからである。その為その後技術を要する大八木式真鍮パイプ継は見られなくなった。

 八木式真鍮パイプ継の寿命は10数年ソコソコでしかなかったことになる。だから大八木式真鍮パイプ継の竿は作られた割には残っている物は数も少ない貴重な竿である。そこで資料の一部にとお願いして写真を撮らせて頂く事にした。手に取って見ると古いだけにその竿は、燻されて漆を塗ったかのような茶色に変身している。当然興味があったのは、その継の部分である。

 螺旋式真鍮パイプ継のパイプと比べ少し分厚いのが特徴である。何故ならパイプの中をL字の溝を作らねばならなかったからである。そのL字の溝に沿ってあらかじめオスの竿尻に真鍮の釘の頭を差し込み捻って竿を固定すると云うものである。あらかじめ真鍮の板にL字の溝を掘って竿の太さに合わせロウヅケでパイプを作ったものと考えられる。だから一本一本の竿の太さ合わせて作るのは可なりの技術を要すると思われる。

 近年までロウ付けの技術の職人がいたが、最近では全くいない。竿師たちの多くは比較的安く上げるために出来合いの真鍮パイプを買って来て、螺旋式真鍮パイプ継の竿を作った。その為竿に合わせるのではなく、パイプに合わせて竿を作ったのである。その為、竿師の中には、ロウ付けの技術があった事を全く知らぬものも少なからずいた。あらかじめ三つに切った自作の竿にパイプを合わせて欲しいと釣具店に持ち込んだところ、そんな竿を持って来ても出来る訳がないと断られる事が多かった。そんな半人前の竿師が多く、竿師としての名前が泣くような職人が多かった。昔の名竿師たちは自分たちで一本一本竿の太さに合わせ自在にパイプを合わせていたようだ。それにもましてロウ付けの職人も多くいた事もそんな加工が出来た事もある。

 ところで館長の竿をようく見て見ると、オス側の竿尻は漆が塗られている。パイプの太さを調整するのと同時に、竹が傷つかぬように補強しているらしい。メス側パイプの奥に竿が突き当たったところで左りに捻る事で竿が完全に固定され、竿は抜けなくなると云う仕組みだ。余程の細工の技術を持たないと真鍮製の釘の頭がぴったりと合わさるのはセミプロや素人竿師では難しい。


 竿を振って見ると多少太い真鍮パイプの重さは竿全体的にバランスが取れている為に、そんなに苦にはならない。今でも使えるような、立派な二歳竿である。今同じ物を作っても、このような竿は出来ない。真鍮板にL字の溝を掘りそして更にその板をロウ付けし、穂先側の竿尻に真鍮の釘を打ち竿にぴったりと合わせるなんて事は、現在の竿師の技術では神懸かり的な仕事だからである。当時の釣り師達からは、多くの非難や中傷を受けたが、技術のしっかりした職人が、数多くいたから出来たのであろう。