第83話    「垂 釣 筌」   平成20年10月15日  

 此の度、三年半掛かりでやっとの事で鶴岡市内の古本屋でお宝を見つけた。それはずっと以前から探しに探し求めていた「垂釣筌」である。限定1000部のこの本は、数も少なく滅多に古本として出て来る事はない。それだけに価値も高く、値段もそれなりに高価である。東京の古書店で買うと三万円以上はする。それだけに江戸時代の庄内藩の釣りの資料として、中央でも価値が高い事が認められているという代物だ。地元の図書館でも数が少ない為、閲覧はし可能だが、借りる事は出来ないと云う貴重な本である。

 
この本は昭和51年当時本間美術館の学芸員だった佐藤七郎氏の編で出版されたものである。その頃の本間美術館の館長であった本間祐介氏の計らいで、本間美術館より発行された形となっているが、実質は自費出版本に近いものである。しかし、この本は江戸時代の庄内藩の釣史や当時の釣師の氏名を調べるに当たっては、大変きちょう重要な本の一冊なのである。「垂釣筌」の著者は陶山槁木(18041872)と号し、本名を陶山七平儀信と云う。父親同様庄内藩の数々の奉行職を歴任し、安政五年(1858年)隠居した。その五年後の文久3年(186360歳)に、当時の教養のある武士らしく全文漢文で書いたと云う代物である。それは以前書き記した「加茂より由良に及ぶ」、と題した「図凡そ二十余丁」、「図解凡そ四十余丁」の釣岩の絵図の解説書として書かれたものであった。その後の釣人の間で釣岩の絵図は、盛んに模写され広く流布していたが、「垂釣筌」の方は全文漢文の為見る人は、それなりの素養のある人物でなければ解読出来ず、幻の書となっていたようだ。陶山槁木の曾孫にあたる陶山儀平氏は、これらの本を三部作と表現している。巷では前二部を併せて釣岩図解と云って、明治、大正期の釣り場絵図の種本としている。現在この三部作は全て行方不明で、原本は見る事が出来ない。

 
ただ「垂釣筌」については、昭和13年頃船場町でまだ釣り具屋を営み山内善作に師事し、釣り竿を作って居た頃の本間祐介氏が、重要な本と認識しぜひ世に出したいものと考え「垂釣筌」を写真に収めていた。しかるに写真印刷するには当時の金で一冊15円と云う大金を要した為、断念したと云う経緯がある。機を同じくして原本より模写した酒田の釣師で有名だった中山賢士氏の写本、昭和23年に郷土史家甲崎環氏がに写したと云う写本も存在する。その甲崎本を現代語に訳したのが、当時の余目病院の院長であった遠田正規氏である。そしてそれを荘内日報にて、昭和39年に連載の形で発表した。また、能書家であり中山賢士氏と釣友であった佐藤恒太郎氏が中山本を模写している。この他数々の模写本があると思われるが、この本は佐藤恒太郎氏が中山本を模写したものと本間祐介氏の写真原本などと照らし合わせて、誤写がないと確認し、それを酒田の漢学者渡部信治郎氏が訳注したものである。

 
後世に江戸時代の庄内藩の釣りがあったと云う事績を埋もれたままではいけないとした先人たちの想いが、この本で広く伝えられたことは誠に有り難いの一語に尽きる。何よりもこの本は釣りの資料として、一級品である。過去に幾人かの武士たちの日記や覚書等の発見によって、断片的な釣りの資料は幾つもあるが、幕末の著名な釣師や釣岩の解説、釣史を一冊の中に網羅したものはない。

後は 山内善作の自費出版本「余の体験した下磯の二歳釣に就いて」昭和11(1936)と昭和811年頃に書かれた宇野江山の「釣りの妙味」「漫談釣哲学」の計三冊を探している。この本も当時の釣りや釣りに対する考え方等について書かれたもので図書館でも滅多にお目にかかる事の出来ない大変貴重な本である。

 参考図書
    「垂釣筌」、「荘内日報」、「山形新聞」「釣りの妙味」、「荘内人名事典」