第85話    「継 竿 T」   平成20年11月15日  
 竹竿と云うと三つ、若しくは四つに切られたものを連想するのが当たり前だ。継竿でも差し込み方が色々ある。釣る対象によって、並継、印籠継、パイプ継等に分かれている。

 
竹は元々延べ竿(一本の竹)で作られて居た。江戸時代庶民を巻きこんで釣りが流行するようになるとある程度の大量生産が求められた。自然に生えた一本の竹で、名竿等そうそう容易く出来る物ではない。そこで考えられたのが何種類かの竹の特徴を生かし同じような調子を出した竿を作る事が考えられた。ある程度の量産がなければ商売としての釣竿屋は成立しない。江戸時代金に糸目をつけず高級な漆を使って作られたもの、庶民が気軽に買える物等量産され売られて居た。

 
釣り具屋として商売を成り立たせるには、良いものだけを作っていたのでは商売として成り立たない。ある程度の商品を安価に大量に作れなければ成り立たないのである。腕の良い職人には、良い物を作らせ高級志向の客の注文に応じさせた。しかし、現在もそうであるが客の大半は高級な竿を買いたいが買えぬ客である。だからそれなりの竿を大量に作る事になる。

 
此処庄内では事情が違っている。竿と云えば庄内特産の根から穂先まで一本の苦竹から作られた延べ竿で、大正期に入る迄継竿は一切作られてはいない。苦竹(ニガタケ:メダケ属シラカワザサ、トヨカワザザ、アオネザザとも謂われる)は、肉厚で重いのが特徴である。庄内では藩主が運動不足の武士たちを気遣って盛んに釣りを奨励したこともあって、釣りが盛んに行われた土地柄である。当初釣れるものなら何でも釣っていたものの1700年代後半には大きなクロダイや真鯛を狙った釣りも盛んに行われている。そんな釣りには継竿は使えなかったと云う事が原因している。メートル級の真鯛を釣り上げて海に引き込まれた話もあり、そんな力にも耐えうる竿が、求められて来たのであった。

 そんな事情から趣味としての竿を作ったのは武士たちである。武士たちは、良い竹を求め庄内の竹藪を回り、採って来た竹に工夫を凝らしより丈夫な竿を仕上げたのである。良竿に仕上げる為には毎年矯めては延しし、囲炉裏の火で燻し最低5年と云う年月がかかる。こんな事手間暇のかかる事等釣り具屋では出来る物ではない。武士たちは釣竿を武士の魂と云われる刀に見立てている。それほどに大切にしていた。