日本最古の魚拓 「錦糸堀の鮒」  天保10年(1839年)

「錦糸堀の鮒」  天保10年(1839年)  鶴岡市資料館蔵

 摺形(直説法の魚拓)の最古のものが、天保10(1839)、後天保13年に庄内藩主となった酒井忠発(タダアリ)の若殿時代(当時27)に江戸で釣り上げた錦糸堀の鮒と称する摺形(現在の魚拓)である。その魚拓が若殿付きの林治右衛門正中と云う人物が鶴岡の自宅に送ったものである。それが偶然林家の古文書より偶然発見された。
 この39cmの鮒の摺形には「天保十年亥二月晦日(18393) 於錦糸堀 御獲鮒之図」とだけ書かれている。ここに御獲と書いてある事から、本間美術館の学芸員であった佐藤七郎氏は、当時若殿付きの林治右衛門正中が上司である酒井忠発と考えた。そして当時の古文書を読み漁り、江戸に居た人物をかたぱしから検証した結果、酒井忠発の物としか考えられないと云う結果を導き、酒井忠発が釣った鮒であると特定していた。また、林治右衛門正中家の魚拓が酒井忠発の釣った鮒をその日の内に摺形に記録し家に送ったと云う事は、その当時鶴岡城下の釣好きの武士たちの間で摺形(魚拓)がすでに行われていたと云う証拠ともなっている。