鶴 岡 の 観 光 と 歴 史

鶴岡の歴史
東に出羽三山、西に日本海、北に鳥海山、南に朝日連峰に囲まれ豊かな自然に恵まれた土地に位置している。
同じ庄内でも最上川の河口に位置し、日本海に玄関を持ち水運で栄えた商業都市酒田と異なり、少し内陸に入った平野の真ん中といった地にありどちらかと云うと鶴岡は穀類(特に米)の生産地としての性格があった。

平安末期には大泉荘として現在の鶴岡が歴史に出てくる。「義経記」の中に京より落のびる途中「鼠ヶ関に上陸し大泉の庄、大梵字(だいぼんじ)を通った」と書いてある事から、現在の鶴岡が大梵字もしくは大宝寺等と呼ばれていた事が分かります。 
鎌倉初期には武藤資頼が大泉荘の地頭となり、その後土地の名を取って大宝寺氏を名乗るようになった。其の何代か後に大宝寺城(鶴ヶ岡城の前身)が作られたといいます。大宝寺氏はその後幾多の変遷を経て戦国末期まで続くのですが、戦国末期の1583年に家臣の謀反で鶴岡市大山の尾浦城で滅びる事になった。やがて1588年越後上杉氏の家臣本庄繁長によって占領され上杉領となるも、、関が原の戦いで上杉氏は大阪方を応援したため関ヶ原の戦い後山形の最上義光の所領となった。義光は大宝寺城を大改築し名を鶴ヶ岡城と改めた。これには逸話があり、其の頃酒田に大亀が上がり義光に注進したところ吉兆と大いに喜び、酒田の東禅寺城を亀ヶ崎城とし酒田の西方の中山を松山と名付け更に大宝寺城を改め鶴ヶ岡城としたと云う。鶴岡の由来はこの鶴ヶ岡に由来する。最上氏時代に洪水のため使われていなかった鶴ヶ岡城を改修、洪水を防ぐため赤川(当時は梵時川と云って市内を流れる内川は旧赤川の本流であった。)の水路変更が行われている。




1622年今度は最上氏がお家騒動が発端で改易しなり、徳川四天王の一人酒井忠次の孫酒井忠勝が信州松代10万石から転封となり、庄内を統治する事になった。以後庄内14万石は250年に渡り庄内を治め事となったのである。酒井氏が入国の時の鶴ヶ岡城内の建物は萱屋根の粗末な物であったので、城の改修、城下町の整備を行って、1680年代になってやっと一の丸、二の丸、三の丸からなる立派な城が完成しました。

1840年酒井忠器(タダカタ)の時幕府より国替えの話が持ち上がり、領民が一致団結し反対運動、幕府などに請願運動を起した結果中止となる。藤沢周平の「義民が駆ける」に其の話が出てくる。

幕末には徳川の譜代であった酒井氏は会津藩と同様江戸、京都などで勤皇方に対する締め付けを行った為に戊辰戦争を行った。為に会津藩と同様に徹底した征討の対象となったが、新政府軍に対して庄内藩の新潟口、新庄口、秋田口の防備は固く領内には一歩も入れなかったと云う。長引けば会津と同様に玉砕の道を選ばざるを得なかったが、隠密理に西郷隆盛との折衝の結果、降服という条件で平和的に事なきを得た。



戊辰戦争後、明治新政府から会津若松への転封、賠償金等を命ぜられたが、藩内一致団結し藩主自から先祖代々の重宝等を売却し、藩士は家財を売却、更に商人や領民なども積極的に献金に応じて藩ならびに領民の一致団結と、裏からの交渉の結果、当初からこの国替えについては無理な難題であったので撤回され、賠償金は決定金額の半分でという事で無事解決した。

その後、西南戦争の時、西郷隆盛に恩義を感じた旧藩士たちは遠く鹿児島まで出掛けて行った者たちも少なくなかった。大方の者は鹿児島に着かぬ内に戦争が終結したが、戦に間に合って戦死した者の墓が今でも鹿児島市内に残っている。平和裏に戊辰戦争を終結させしてもらった、大恩人西郷隆盛に対する庄内人の律儀さを示す逸話として今も語り継がれている。
話はそれるが、この鶴岡市は内村直也作詞 ・中田喜直作曲の名曲「雪の降る町を・・・」がこの町がモデルであった事を知っている人は、地元以外では案外知られていないのではないかと思う。自分も大きくなるまでは知りませんでしたから・・・・。



鶴岡出身の文人では明治の「滝口入道」の高山樗牛、最近では映画化になった「たそがれ清兵衛」の直木賞作家藤沢周平を初め芥川賞の丸谷才一、直木賞の佐藤賢一等がおります。

鶴岡の観光

NO 名           称 概                           略
01 致道博物館 鶴岡と庄内の歴史や文化、釣等を知る上で欠かせない施設です。
02 庄内藩校 致道館 文化2年(1805)酒井家九代目藩主・忠徳公が創設した藩校
03 鶴岡公園 旧鶴ヶ岡城(大宝寺城)本丸跡にあり、公園内に荘内神社宝物殿、大宝館(郷土人物資料館)等がある。特に4月の桜が綺麗で見所の一つとされている。
04 旧風間家 丙申堂 庄内藩の御用商人で、後に鶴岡一の豪商なった。
05 旧風間家別邸 無量光苑釈迦堂   同   風間家の別邸
06 鶴岡カトリック教会天主堂 明治ロマネスク様式建築の傑作として名高く国指定重要文化財となっている。黒いマリア様ある事で知られている。
07 南岳寺 鉄竜海上人の即身仏が安置されている真言宗智山派の寺として知られている。
08 出羽庄内国際村 アマゾン館 鶴岡の国際交流の拠点で「出羽庄内国際村」に併設された文化施設です。館長の山口吉彦氏の個人的に収集した民俗資料約一万点を収蔵、特にアマゾンの民族資料だけでも七千点は世界でも有数のコレクションといわれそれらを常設展示している。
09 加藤清正公の墓 天澤寺 加藤忠廣公が改易され、遺骨を熊本より櫛引町天澤寺・丸岡城跡に葬る。
10 菅家庭園 酒井家の元御用屋敷だったところで、菅実秀がゆかりの庭園です。
11 鶴岡市営加茂水族館 日本初クラゲを前面に出しているユニークな水族館です。貴方もユラユラと揺れて泳ぐクラゲを見てみませんか?