第07話    「庄内竿と庄内中通し竿 U」   平成18年06月04日  

 土屋鴎涯「時の運」の第四図にある釣師の息子(土屋鴎涯の息子と考えられる)が、東京から袋入りの二間半の継竿を仕入れて来た話が載っている。その息子が早速三瀬に出かけて黒鯛を掛けたところが、継ぎ手のところから簡単に三つに折れて魚に逃げられてしまったと云う話である。やはり黒鯛を釣るには庄内の延竿でなくては、黒鯛は釣れぬものだと書かれている。東京から買って来た二間半の継竿その竿がどんな竿かは書かれてはいないものの、黒鯛竿ではないと思える。おそらくはヘラブナを釣るための竿の類ではないかと想像出来る。

 話は脱線してしまったが、延竿の継竿(庄内竿)と庄内中通し竿の最大の違いは、竿にピアノ線で穴を刳り貫き手元に両軸リールをつけたことと書いた。竹に傷を付けないという事が、庄内竿の大前提であったから、穴を刳り貫いた竿等庄内竿の伝統を重んずる人たちにとっては、絶対に許せるものではなかった。ましてや比較的簡単に大型の黒鯛が、少しの練習で釣れたことも、名人たちの反感を買ったに違いない。事実延竿と中通し竿では竿捌きが、異なる。延竿の釣り方では、魚の最初の引きから先手先手を取らなければ魚は取る事が難しい。一方中通しの竿では、多少後手に回ったとしても、糸の出し入れで魚を釣る事が出来る。しかし、竿の力を十二分に使うという点においては、後者は面白みに欠ける嫌いがある。延竿で黒鯛を掛けてから最後の取り込みまでやって、一人前と云う風習があったから尚更の事である。

 自分が釣を覚えた時代は、すでに中通し竿の全盛時代であった。庄内竿と中通し竿の価格は後者の方が、手間を掛けた分価格は一段と高価であった。釣師や竿師からそれほどまでに嫌われていたにもかかわらずにである。現実の釣竿の販売では売れ筋の良い商品が高いのは当たり前の事ではあるが・・・。当時短い延竿を使っていた自分にとって、大人たちの使っている中通し竿は一人前の釣師のステータスのように感じていたものだ。確かに使って見て、大物が比較的簡単に釣り上げる事が出来た。今ではその違いをはっきりと分かる事ではあるが、数、大きいものを釣りたいと云う気持ちが優先していた頃に、そんな事がはっきりと判ろう筈はない。

 釣の面白さとは何か?
 如何にして引き味を存分に味わいながら、細ハリスでハラハラドキドキしながら魚を確実に釣り上げる事であると思っている。そんな余裕もない自分が、いままでやって来た事が恥ずかしく思うような年になっている。この庄内竿と庄内中通し竿の優劣は、未だに自分の中では中々決めがたい。ただ、竿師の間で竿に加工を施した分、使用出来る年数は格段に落ちると云われている。庄内竿には、必ず手入れが必要である。手入れ次第で100年以上は持つと云われている。今は亡き独学で竿師となった根上吾郎氏はいみじくも云った。「庄内竿は実用100年以上、中通し竿はその半分以下・・・・!」と。竿を持つ釣師の心がけ次第で、竿は何代もの釣師の手を経て実用に耐えているのが、庄内竿である。日本国内において実用100年と云う竹竿は、他に類を見ない。それは竹に一点の傷を付けず、和蝋で矯め、焦げ目を付けず、煤棚に置いて燻すそして5年と云う歳月を掛けてかっちりと締まった竿にしてから始めて使うと云う事由によるものである。

 実用の中通し竿、難しいけど引き味を楽しむ庄内竿、もし貴方ならどちらを取る?